FC2ブログ

To be announced

 おおよそGhettoの音楽性によく言及されるのが「90年代っぽい」という。90年代をリアタイで過ごした人に言われますね。
 僕個人が物心つくかつかないかに過ごしたのが90年代というのもあって、憧憬、羨望、嫉妬、郷愁、そういう思い入れがあります。つまり大当たりですよ、と。
 大体が感性のルーツというのは、人に聞かれて「はい、これがそうです」とハッキリ言えるほど明瞭なものじゃないんですよ。ひょっとしたら記憶違いかもしれないけど、屋根裏の箱にしまって埃をかぶった、でもしまうほどにとても大切だった思い出。何を入れたかも今は覚えていないけど、そういう類のものじゃないかなって思うんです。
 日記をつける習慣がある人は分かると思うんだけど、概ね何書いたか? と問われると思い出せないが、読んでみると「ああ、そんなことあったな」と匂いや色、感触が同時に湧き上がるアレです。
 年代にはそういう抗いがたい魔性の魅力があると思うんですよ。一応、これが加齢のせいであろうと享受しているけど(誰だって自分の幼少期を過ごした季節がかけがえのないものだろうから)、他の年代よりも90年代はその魅力が強いと俺は思う。傲慢だけどミレニアム以降に生まれた人間に哀れみすら感じるよね、へぇ、あのアナログ感を空想でしか知らないんだ~、っていう。俺より上の年代も俺ぐらいにそういうのあったりするだろうな! 歴史がリフしてる。マウンティングも。

 音楽的見地で2000年以前と以降を振り返って殊更に思うのが、創作物の価値判断が根こそぎ変わったなと思う。
 変な話、それまではリアリティ(”リアル”ではない)が創作の基準だったけど、それ以降は”情報量”が創作物の基準になったというか。
 デジタル化、世界のミニマム化、様々な”見える化”(これ宇宙イチ醜い日本語)の結果だと思うんだけど、とにかくあらゆる創作物が全て「内包する情報量」=「その物体の価値」になった。
 例えばmp3などのデータで幾らでもやりとりできる楽曲や動画が、8ミリフィルムやヴァイナル(レコード)としても息長く流通しているのはデジタル化がアナログ媒体に含まれるノイズや揺らぎの情報量を、相対的に可視化したからだ。
 先日レコードが音楽市場の総売り上げでCDを上回った、というニュースが出た。当然レコードが上回ったのではなくCDが下回っただけなのだが、その逆転現象にはデジタル音源の利便性とアナログの持つ情報量、”今”音楽を消費している層の価値観が色濃く反映されている。
 自分の感覚では2010年付近で「音楽は世界的に、これからYoutube」という大きな流れと、「音楽は人間的に、これから現場」というオルタナティブな潮流が分岐で派生したな、という直感があって。
 危うく後者はポコポコ無駄に増えてきたフェスという商業的なクソになりかけたけど、良きか悪きかコロナがぶっ潰したのでもっと適正な形に落ち着くことになりそうだ。
 いいフェスがあるのも存じてるけど、そのフェスですら九分九厘アーティストに悪い影響(短絡的には極度に安いギャラ、長期的にはそれでアーティストに付く「質の悪いファン」)があまりに強いので、フェスって結構存在悪だったんですよ。出ないと存在感アピールできないのに、出ると不可避のデメリットが有るっていう。
 もし知らんかったら夢壊して悪いですけど、結構デカいフェスでも出演料払って出るもんですからね。貰うんじゃないんですよ。え? って感じだよね。ライブハウスのノルマよりタチ悪くて、動員に関係ない「出演料」なんですよ。クソ of クソ。
 人呼ぶ、場所作る、誘導する、接客する、そら全部大変よ。分かる分かる。お金貰うべきさ。そう、だから演者も貰うべきだよね。同じ苦労どころか、メインコンテンツなんだから。えーマジ分かんないかな、メインコンテンツがぶっちぎりのギャラ貰わないと業界って衰退するんですよ。箔がつかんので。箔がつかんということは、若手(才能が有る)がモチベ無くすんですよ。若手がモチベ無くすと次世代が消滅するので、業界が滅亡する。だから今滅亡した。バカの国なん?
 なんでYoutubeがブッチギリかと言うと、YoutubeがとんでもなくYoutuberにお金を払うからだわな。まぁそれ以上に儲かる仕組みを作ってるのが大層頭が良いが。儲かるなら、ってんであらゆる才能がYoutubeに動画上げてコンテンツが潤沢になってマネタイズできると。カーッ、分析するだけなら簡単ですよ。これが思いつくアメリカ人は頭いいのう!
 思いついたのがアメリカ人じゃないなら、そいつを大金で身内に引き込んだアメリカ人やっぱり頭いいのう! って寸法。

 アナログ(≒現場)の価値ってこれまで宗教的な部分が多少なりあったと思うんだけど、これからはもっと宗教的、かつ原点的な価値が試されていくステージに来たなと思います。
 パッケージングでもマネタイズでも情報化でも言語化でも言い方はなんでもいいんですけど、そういう壁を突き抜けた先で試される本当のライブ力ね。
 いやーでもどうだろ、やっぱ来ないんかな、そういう楽園みたいな世界。本当の実力主義。自分の代では下手したら来ないかなって思ったりする。3個4個、5個6個下なら来るかも。ずっと寄ってきてはいるんだけど、思った以上に遅いっていつも思ってる。こんなに遅いんだー! 地球の裏側まで生身ですら飛行機なら3日かかんないのに、こんなに遅いんだー! って。ネットなら何秒だよって話だし。

 果てしなく話がぶっ飛んでいったが、情報量が重視されるようになって音楽性自体にも変化が出た。まぁどういう変化かは言いません。感じろ。
 情報量多い音楽俺は好きなので、90年代の音楽と今の音楽を同時に体感できる俺は幸せだ~って思う。なんなら90年代の音楽も当時より便利かつ新鮮に今ならアクセスできますからね、デジタル化のおかげで。
 でも出会い方って、聞く環境って、ヘタしたら楽曲そのものより大事だったりするよね。あ~~~音楽って最高だな~~~!!!!
 人間はこんなにクソカスゴミクズなのに、人間が作ったはずの音楽ってのは、どうしてこんなに素晴らしいんだろう。不思議だよ。お前もそう思うだろ、メロディ。

風を待つ

 何かしら大きな出来事というのはそんなに大層あるもんでもなく、かといって非日常を期待して遊びに行く場がライブハウスであるとするならば、いつだって演者は尋常でない気概を持たねばならない。
 曲作りでも詩でもバンド活動でもその他色んな創作において、「うおおコレが産み出したい!!」ってのはそんなに人一人が数多くのジャンルあるもんじゃないんですよ。精々一つか二つ。多くて三つ。
 映画の好きなジャンルみたいなもんですよ。雑食でオールジャンル好きだとしても、どれ見るか迷ったときにピックアップするのは好みの1つ2つだろ。
 アウトプットでもそうなんですけど、ただそうやってデカい波だけを待っていても仕方が無いというか、そんな少ないチャンス、受け身でタラーっとしてて、上手くつかむことホントにできる? っていう。やっぱり実践でしかそういうのって経験詰めないと思うんですよ。
 だから自分の好き嫌いを極限まで具体的に把握することは創作家の大前提だと思うんですけど、同様に小さな波を見逃さないことも大事だなと最近思います。
 そのー、2番手くらいで好きなジャンルに触れたとき、ちょっとだけ感動してる自分の気持ちに気付けるかどうかっていう。
 ラブまでいかんけどライク、そのライクをラブぐらいでっかく出来たら可能性ってメチャクチャ広くなりますよね。

 曲とかもそうだと思うんですけど、例えばイントロだけ良い曲って名曲とは言い難いでしょ? やっぱりぶち上がる曲って「そうそうここでこう来るんだよ!!」みたいな激熱スポットが要所にあって。
 ポップスは基本ファストフードというか、肉!油!ゴリゴリの添加物!ドカーン! みたいな感じで、覚えやすいメロディ!売れ線のコード進行!耳馴染みのいい歌詞!ボカーン! 勿論そうじゃない曲もいっぱいありますけどね。こう、役割がそうじゃん。ポップ(大衆的)なんだから毒抜いてアレルギー表記して小奇麗な見た目して、っていう。
 あんまりそれやりすぎて創意工夫や情緒が全部消し飛んだのが問題なんですよね。なんにでも味の素ねじ込んで食えるようにする、みたいに全部力業で辻褄合わせたような曲が多いんですよ。特にアニソンも質落ちたよなぁ。
 酷いのがアングラにまでその癖が浸透してるので、もうアングラっていうかただの素人集団なんですよね。カウンターカルチャーでもないし。というかカルチャーは壊滅した。魂もノウハウもお客さんも受け継ぐものが何にもない。音楽は終わった、とかじゃなくて今は戦後です。焦土。

 そういう焼け野原で、最初はちっこい芽しか出ないんですよ。なんでも。でもその小さい芽を育てていかないと、仮に今森があったとしてもいつかは枯れるわけですよ。それまでにさ。
 小さい芽も育てなかったしそもそも植えなかったし森も全部枯れたのが今なんですけど、まぁだから大変だよね。大変だと思うよ、とっくに森なんか無くなったことに気付かないバカクソ老害が踏み荒らしていく中で芽を育てていかないといけないわけですから。老害が死んで消えればいいんですけど、まだまだほっつき歩いて絶賛毒散布中だからね。はよ死ねや。

 それが大きい樹になるのか、はたまたマングローブみたいな樹になるのか、そんなことは大きくなるまで分からん。分からんけど産まなかったら何にもならん。
 正当な評価を全くされることなくここまで来ましたけど、どうなんでしょうね。このままだったらいつか絶対腐ると思いますよ。さすがに。でもこのままで行かないとな。
 そういう奴が一つでもいるんだなっていう。存在すること自体に価値があるんですよ、俺らのスタンスっていうのは。他者やこれからの人のことを慮れないゴミ弱虫のクソどもには一生分かんないと思いますけど。
 まぁ世界には必要とされてないみたいですし、俺も世界を必要としてないんで結構です。もうぼちぼち殆どの人が用済みです。スッタコどもよサラバ。
 これも自分の中に芽生えていた小さな声の結果なのだろう。

憎悪の果て

 最近は自分を追い込みすぎて結構カリカリしていることが多い。8月4本のライブがどれも濃厚だったので、その反動かも分からない。
 唯一気分が良かったのは配信の反応とリミックスの感想を頂いたこと。直接言われると照れてしまうので、DMとかで後日貰えるのは手紙っぽくてホッコリしますね。
 何度かライブに遊びに来てくれてる方なんかは、来れない日に謝ったりとか申し訳なさそうだったりとかするけど、アレは全然気にしなくていいです。全部来る方がおかしい。(笑)
 俺なんか猛烈に好きなバンドでも半年に一回もライブ見に行かないもん。
 ライブ観戦が生活の一部にでもなってない限り、ワンシーズンに一回行けば頻度としてはかなり多い方では? ましてや零細バンドのライブに行く人なんて完全に一握りでしょう。クソバンド多すぎて俺無理だし。

 Ghettoはあとの二人もそうだろうけど、もう何度も見に来てくれてる人のこと大好きなんですよ。俺とかはわざわざ言わないですけど。いちいちゴメンねとかそういうのいいんです。あんまり頻繁に来る方が「せ、生活大丈夫か……?」と心配になる。止めることもしませんが。
 遠征とかもそう、相変わらず投げやりな告知だし、レアだろうが遠かろうが合わんときは合わんでしょ。都合が合って気分が合って体調が合えば行く、ライブなんてそんなもんじゃないすか? 知らんけど。
 俺がキツイ性格なのもあって敬遠されたり疎まれたり怖がられたり、対バンのヤツ薄っぺらいことばっかほざいて全然見に来ねーなって感じなんですけど、そのおかげかGhetto見に来るお客さんって純粋に音楽が好き、ライブが好きで楽しみに来てる人が割合多いですね。とてもいいと思います。密かに自慢です。
 例えば極端に金が無くて明日の飯か、今日ライブ見に行くか、なんて選択を迫られることがあったとして、でもあいつらのライブだから見に行く、究極的にはそういう演奏が出来るバンドでありたいなと思う。
 「いや飯食え笑」と思うんだけど、自分の志としてはそのぐらいの覚悟で来る人にも思いきり応えてやれるようになる、ステージの高さに立つならそのぐらいを目指すのは当たり前じゃないかなと思います。
 その結果お客さん皆血眼でライブ見てるのに腹ペコ、みたいな状況になったら笑っちゃいますね。え、だからフードってあるのか……?
 無論ペローンって楽勝で見に来た人(そんな奴はいねえ)にも死に物狂いで見せつけたろうって思うわけですよ。だから大丈夫です。

 音楽の楽しみ方って色々だけど、俺は結構そこに意義とか熱意とか覚悟とか、とにかく気持ちや心を求めてしまうし、それが無かったらヘタクソなんて全員辞めろって話になっちゃうと思うんですよ。ヘタクソがうるせえ音出して電気使うなっていう。
 俺も上手い方が好きですけど、ヘタなりに一生懸命歌って、自分を変えようとしているとか、誰かを応援したいとか、そういう気持ちは凄く凄く最高。逆にそういうのはビミョーに上手いと説得力無くなったりしますよね、繊細だわ。
 例えどんな音楽をやっていようと、誰かを不幸にしようと思ってライブする人なんて一人もいないんですよ。仮にいたとしても長続きしない。誰もそんな奴の演奏聞きたくないから。
 だから最初はどんな動機で始めたとしても、多少なり続けてる人間は、続けられてることにどっかで気付いちゃうわけです。そこに誰かの優しさがあること、助けられてること。そこに甘んじるか、更なる衝動で報いるかでまた分かれていく。プロアマは関係ない。
 フツーに考えて、助けられてたら助けよう、恩を受けたら他の誰かでも返そうと思うじゃん。どんなに未熟でもその点で誠実なら、見捨てられることはまず無いですよ。
 自分は誠実に対応してるのに誰も相手してくれないのなら、その環境全部がヤバいので何もかもぶん投げて鞍替えすべき。ブラック企業みたいなもんで無理に居座っても何も良くならん。

 何したらいいんだろうな~全然分かんねえや笑、と思いながらあーでもないこーでもないを繰り返しているけど、いい方に進んではいる気がします。あとは更にカリカリして心にもないことを言わないようにせんばな。
 あとはーもう「こいつ分かってねえなー多分一生分かんねーなー」っていうのはバンバン切り捨てていく方針に切り替えました、薄情に見えるかもしれんが今まで無暗に優しくしすぎたと思う。
 独善的にならんように、傲慢にならんようにと自分を抑制し続けてきたが、そもそも俺は独善でも傲慢でも無かったわ。ただただ相手が客観的に間違ってる時しか「は?」ってならない性格だったらしい。弱者はズルいし嫉妬するし逆恨みしてくるから嫌い。お前のコンプレックスに俺が付き合う義理が一切ない。
 気付く奴はそれで変わったらいいし、変わらん奴は俺の視界から消え失せろ。
 俺の目も君の目も前についているのさ。

Right Stuff

 努力努力と最近自分でも随分意識高ぇこと書いてやがるなと自嘲しているが、実際どういうものが努力なのかをここに言語化しておく。
 ずばり今言った「言語化」そのものが努力だなと現状では考えている。
 言語化できれば分析と比較ができるので、習慣化して常に問題点を観察しながら批判、検証することができる。そうやって上達する過程を努力と定義するのが現代的かつ無駄のない考え方。
 勿論細分化すると反復練習や筋力(体力)の向上、つまり基礎の土台作りなんかは昔ながらの体育的努力で、これは確実に必要。木の枝でバッティング練習は出来ない。

 次に必要なのが自分の集中力の特徴と、トレーニングの成果が定着するバイオリズムを把握すること。
 集中力には個人差があるが、それは浅い深い、といったアバウトなものではなく、「深度」「持続力」「切り替え」の三つのパラメータがある。
 これらの要素は大体は反作用していて、深い集中力を持つ人は集中するまでの切り替えが遅い代わりに持続力がある、など。
 更に集中力を最大化させるためのルーティンというものが各自にあり(無ければ作る)、大雑把に言うと規則正しい生活で適度に運動しつつ体も頭も使ってる人が一番集中力の質が高い。
 集中力の質が高ければ無論練習のパフォーマンスは向上するし、吸収や発見も増える。逆に集中してない練習は殆ど意味が無い。あらゆることに言える。むしろ、なんとなくダラダラやってると変な癖がついて悪化することが多い。また、その癖に無自覚なのが悪質。
 そして練習は練習した分だけ身になる、という都合のいいものでもない。ご飯を食べて即座に体が大きくなるわけではなく、吸収して自分の体が再構築されるまでに多少のラグがあるのと同様。
 これは休息やリフレッシュを有効に使うことで折角の練習の成果を最大化することにつながるし、スキルアップする分野のローテーションをすれば時間も有効活用できる。
 
 これを一本化すると、規則正しい生活の中で一番集中できる時間を狙って基礎練、応用のトレーニング、実践的練習をし、その後は適度な休息をとる。これで一番効果を最大化した技術向上が望める。

 また、今丁度配信で皆あれやこれやしているが、丁度その映像で見る、というのが非常に自己分析に良い。
 イメージトレーニングの効果はあらゆる研究で実証されてる上、まさしく集中力の結晶なのだが、そのイメージと現実は基本的に最初、合致しない。
 練習というのは、そのズレを無くしていく作業とも言える。頭の中で思い描いたように体を操作する、操作した体でパフォーマンスする。スタート地点に個人差があるが、単に元々うってつけの習慣を持ってるか否か程度の違いに過ぎない。が、この違いは時間が経つごとに当然開いていく。それを才能とか言う人もいるし、俺も否定はしない。

 人間は基本的にイメージできないことは出来ないし出せないので、想像力を鍛えるトレーニングも必要。個人的にはそのトレーニングにも言語化はとても良い。
 言語化の良いところは自分自身のことが分かってくるので自信が持てるところ。過度なストレスは集中力の最大の敵だが、そのストレスも言語化して正体をハッキリさせれば存外小さなストレスに最小化できる。姿が見えれば対策も打てるからね。

 これは余談だが、自分の体とイメージのズレが激しい人間は、もれなく世間からもかなりズレている。世間からズレているのが悪いとは思わないが、客観性の無さは基本的に不幸しか生まない。
 真っ暗闇の海をイカダで渡るようなものだし、よく言えば勘や博打、そのまま言えば無謀、バカ、負け戦、そんなところだ。
 勘の何が悪いかと言うと、つまり再現性が無いので、一言で言えばプロじゃない。どの分野でもプロフェッショナルとは、あらゆる環境で高い再現性を発揮できること。それが信用になり、価値になり、サービスになり、人は対価を払う。誰も教えてくれないが、一流の世界ってのはそういう仕組みだ。それが分かってない人とは、一流の人は話しない。
 この国では俺も含めて大半の人間は何のプロでもないけど、プロ意識を持ってダメなことは何一つない。というか、自分に誇りを持って生きるなら必要不可欠。かっこいいとはそういうこと。嘘つかないとか、約束守るとか、友達大事にするとかもプロ意識。
 頼んでもいないのに「ライブ見に行きますよ!」とかたまに言われたりするんですけど、まぁ来ないわけですけど、個人的には「自分で言ったことも守れない人」は人間の中で最低ランクですね。ホチキスとセロテープの間くらい。実用性は勿論それら以下だし。
 俺なら絶対そういう人に大事な仕事は振らないですね。信用できないので。俺ですらそうなんだがら、大きな金額が動く仕事している人とか、プロモーターはもっとシビアに見てるってこと。う~ん、言っても無駄だろうな。分かってたら初めから出来ないことは出来ないって言うしね、それも一つの信用だから。
 その手の閉じた扉って基本、二度と開かないです。気付かないって可哀そうだけど、こういうのも積み重ねかな。

 まぁ俺は自分のバンドが「ヤバい……好き……」みたいな感じで語彙力ない褒め方されるのは好きですけどね。言語化しなくてもいい部分もあるな、確かに。
 自分が何者であるかぐらいは自分で決めようぜ。

傘で強く叩きました?

 リアリティのあるツイ消し(?)とやらで消したのだが、昔2ちゃんで見た「歳食うとキモいヤツとして侮蔑の対象だったのが、不気味な人に変化して誰も相手にしなくなるから平和になる」的な書き込みがひどく印象的だ。
 なんというか、この世の本当にどうしようもない部分が詰まってるように思う。
 この「キモい」も顔面が純粋にマズいのか、多汗症や腋臭、アトピー辺りの完治が難しい持病なのかで変わってくるけど、俺は前者が凄くよく分かるんですよ。具体的にいじめられたとかは無いけど(体もデカいしすぐキレてたから)、なんというか悪意が、それこそウィルスのように体に入ってくるわけ。その悪意がそのうち自分の心の声とすげ変わったり、騒音の中に紛れて聞こえてきたり。
 後者はもう、ある程度どうしようもない部分だから、からかう方が絶対に悪だよね。しかも質の悪い悪。
 ただ、前者は本人でも「本当に不細工だなぁ」とか思ったり、、そういう人って結構鏡見るんですよ。ナルシストとかじゃなくて、ああ、ブスだな、本当にブスだ、前髪がいつまでも決まらない、どうやっても気持ちが悪いetc、そんな風に感じて見たくもないのに見ちゃうという。
 もうそういう思考回路になってる時点で、悪意が相当体に回ってて、結構これもこれで自力で治すの難しいんだよね。手っ取り早いのはむっちゃ理解してくれるツレが出来るか、整形しかないかも。
 俺は整形は肯定派だな~。好きな服着るのと同じレベルだと思う、成りたい自分に成るのに躊躇う理由一個も無いよね。「親の体に傷をつけて~~」云々言う奴は知能がマズいから脳みそ整形して前頭葉とった方がいいと思う。そういう奴に限って何にもしねーからバカみたいな体型してたりするんだぜ、バカくせー。

 努力する人は他人の努力をバカにしないもんなのよ、フツーは。努力するしんどさを知ってるからね。努力できない弱い奴に限って他人を否定する。確固たる自信が無いから、自分が否定される恐怖に怯えてワケ分かんなくなってんだろうね。
 努力もするし更に他人も否定する最悪の存在が俺だけど。。。いや、基本クリエイターと老害に対してだけですよ? 努力はして当たり前、効果的な努力をして優秀、効果的な努力を死に物狂いでするのが天才。努力しない奴は何者でもないカス。
 努力も色々あるけど、外見に気を配るのも、内面に気を配るのも、生活習慣に気を配るのも、技術を磨くのも、人に優しくするのも、究極的には全部同じ。全部繋がってる。
 生活習慣の向上は身体能力の向上だし、身体能力が向上すれば内面にも余裕が出る、内面に余裕が出れば人に優しく出来るし、優しくすれば返ってくるものもあるし、そういうサイクルの中にいれば自然と顔つきも良くなって外見(人相)も良くなる、などなど。相関してる。
 今俺は人に優しくする以外は全部やってるんだが(何故なら元々優しいので)(やかましいな)、思わぬ効能で顔がカッコ良くなってきた。
 あ、へぇ、輪郭とかじゃなくて、色々シュッとするんだな、筋トレって。。。という感じです。

 筋トレはいいぞ! って話でした。まさかの。
 筋肉をつける、って目的じゃなくても軽めの運動やストレッチ自体が継続すると露骨に全部よくなる。これを10代の頃からやっていれば……いや、今気づいてよかった、中間テストで……期末テストで結果出すんだ俺は!
 まぁ俺は正直首から下が完璧すぎるので、顔ぐらい多少崩れてないとどこまでも驕り高ぶってたと思うよ。謙虚さが身についてよかった。

 不気味な人、まぁ今ではぶつかりおじさんとか痴漢とかもそうだろうね。完全に悪意に染まってしまったという。
 同情は出来ないかな。オカルトだけど、ただの一度もヒントや手助けが無いってことは無いんだよね人生は。
 案外あっけないことで解決するはずの問題だったりするのにね。殆どそんなもんなのに、ややこしくして、不幸を生み出して、金を巻き上げて、巻き上げる側も不幸という。
 音楽のためなら俺はなんでもやるよ。音楽で君を幸せに出来るならなんでもする。
 中間も期末もない、俺の答えは今までもこれからも、最期までそう。