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鳩 正義

Author:鳩 正義
Ghetto HP
Ghetto

出演-------------------
9/5@池袋adm

9/8@三軒茶屋HEAVEN'S DOOR

10/22@三軒茶屋HEAVEN'S DOOR

11/1@両国SUNRIZE

12月未明@両国SUNRIZE


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悪童の乖

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映画メモ

03 16, 2017 | カルチャー

 最近あまり映画を見れていない。見てもう忘れたものも多いが、とりあえずメモだけ。

 100歳の華麗なる冒険
 元スパイの長寿の爺さんが徘徊する話。バイト先の男の子から貸してもらった。
 主人公の、何が起きてもハードな山場はすでに大体乗り切った感でケラケラ笑える。
 可愛い映画でしたね。
 
 幻の市街戦
 カルトなムービー。バイト先の男の子から貸してもらった。
 世界大戦中、爆弾が埋められた街から人々が逃げ出し、取り残された精神病棟の人たちが好き放題遊びまわる映画。
 これメチャクチャ面白かった。今年も四分の一過ぎてるけど、今のとこ一番。

 ベティ・ブルー
 ヒステリックメンヘラガールとそれに振り回される一人の男。
 付き合いたてのあの感じ、を上手く切り取った映画だ。可愛らしい。
 新生活、飽きることのないセックス、思いつきの小旅行。
 そして徐々におかしくなっていくベティ。
 現実にはベティのように自分の目を抉る子はあまりいない。
 ただ、ベティのように付き合いが長くなると次第に混乱してきて周りを崩壊させる子は時々いる。
 物事を維持する能力が欠落してる人間。
 だからこそ一時の炎は激しく美しいのかもしれない。

 DIG
 地方の名も無いバンド二組を追うドキュメンタリー。バイト先の男の子から貸してもらった。どんだけ貸してもらうねん。
 ブライアン・ジョーンズタウン・マサカーっていうバンドとダンディ・ウォーホルズっていうバンドの二組。
 マサカーは鬼才アントンの国籍を問わない多様な民族性をブリティッシュなロックに落とし込んだ、サイケとガレージの融合した音楽性。
 ダンディ・ウォーホルズは90年代氾濫した、オルタナとニューウェーブが半端に混ざったような感じ。
 どちらも薬物乱用でキマり気味のサウンドだが、セルアウトに近いウォーホルズは小規模に成功。マサカーは運が無かった。
 これまたアントンが、物事を維持する能力に欠けてる人間だったんだね。
 作る音楽は天才的だが、それ故に、というかなんというか。
 しかしまぁそんなことはどうでもいい。
 なんだこいつらのモミアゲのボリュームは!!

 シン・ゴジラ
 去年の誕生日前後に映画館で見た。やっぱり庵野は凄い。
 爆音上映なのも最高だった。もはや一種の電子ドラッグ。これだから都会ってのはいいねぇ。
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花は散るもの

03 16, 2017 | たわ言

 僕は器が小さい。
 とっても小さい。
 自分自身一つまともに収まらないくらい小さい。
 他人を受け入れる隙間なんか、紙一枚分もない。職人の捌いたふぐ刺し、生ハム、大根、そういうのも入らない。
 むしろ器からはみ出した僕の、僕が把握しきれない部分が好き放題やって周りに迷惑をかけまくる。

 僕は怒りっぽい。
 昔から癇癪持ち。
 観念して言えばヒステリックだ。
 一瞬で頭に血が上って、あることないこと喚き散らして、ときには手が出る。
 そして冷や水を浴びたように、愕然と我に返って「あんなことをするつもりじゃなかった」と後悔する。
 自分のしでかしたことに愕然とする。

 ずっと、本当にずっとこの癇癪を押しとどめようと我慢して、矯正してきたんだ。
 でもその度にどんどん形はおかしくなって、もう今じゃ、かつてならまだ怒り狂うだけで済んだことが、もっと歪になった。
 腹の底から苛立ってそれがもう可笑しくて、それでいてなんだか平和なような、そういう錯乱した状態がずっと続いてる。
 でも楽しいことはキチンと楽しいし、頭のどこかで退屈だな、飽き飽きだなって思っても、それに安堵したりする。
 もう自分が何をどう考え、どう感じているのか、まるで判別がつかない。

 でもこれはきっと誰でもそう。
 怒り方だけはどうも僕はキレすぎ、ということは明瞭極まりないけど。
 この頭蓋骨っていう小さな箱、細胞っていう小さな箱に、自我なんて膨大な靄は収まりきらないらしい。
 まぁ、だって自我なんて無いもんね。

 この個体はこういう状況のとき、こういう反応と行動をする傾向にある。
 結局のところそれの積み重ねが、なんとなく「そいつらしさ」、ひいてはその人格っていう見なし方。ただそれだけ。
 僕は気まぐれで、飽きっぽくて、本当に空っぽなんだと思う。
 昨日まで当たり前にやってたことがパッタリ、興味がなくなっちゃう。
 酷い話だけど、他人のことは個体差や瞬間的なバグによって色んな反応を示す、ランダマイズが効いた蛋白質の玩具、その程度にしか思ってない。
 というか、生物なんてそれ以外に捉えようが無い。
 だからその人個人より、その人がどういう考え方をするとか、どういうものを作るとか、その方が僕には興味深いんだな。
 もしかしてこんな風にばかり考えてるから器が小さいのかな。
 だとしたらこれが僕の乱数なんだ。仕方ないわ。

 僕は僕の話ばっかりしてる。いつもそう。
 一応、自分に関係なさそうなことについて語ることも出来るよ。
 でも、それって何になるんだろう?
 そいでもって、僕の中心にある音楽においてすら、本当に余計で関係のない物事が鬱陶しくまとわりついてくるんだ。
 こうしたとき本当にこれは余計、関係ないって、割り切っていいのかなって、一応考えたりする。
 でもどう考えてもやっぱり余計なんだよ。
 身も蓋もないけど、音楽やるのに飯食う必要なんか無いと思ってる。
 でも食わないと身体は維持できない。演奏に使うインターフェースを喪失する。
 理屈は分かるんだけど、これすら余計だな、って感じちゃう。
 じゃあ何で楽器弾くんだよって自分でも思うけど……なんかよく分かんないな。こういうのが器からはみ出てる部分かも。

 本当は受け入れたくて仕方がないのに、とっても吐き気がして、頭痛がして、血の気が引いて、好かれたり好いたりするのが怖いんだ。
 怖くて痛くて虚しくて切なくて欲しくて、壊れそうって感じるけど壊れることはなくて、なんならそれが一番望むことなのに。
 何も壊したくはない。何も壊したくはない。何も壊したくはない。
 でも、花は散るものなんだ。
 種を植え、水をやり、芽が出て、茎が伸びて、花が咲いて、だから種が出来て、また芽が出て。
 花が散るから種が出てきて最終的にまた花は咲くんだけど、
 でも花はまた散るよ。何度も散るよ。何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

あいだのこと

03 15, 2017 | たわ言

 世の中、強者と弱者、正常と異常、優秀と劣等、美と醜、大体そんなシーソーだよね。
 そして僕思うんです、
 弱者、異常者、劣等種、醜い存在が嫌いだって。
 これは僕がその反対、強いとか優れてるとか、そういうことではないですよ。ただまぁ、弱くもないけど。

 二元論出しといてアレですけど、殆どの人は上記のほぼ真ん中じゃないですか、偏差値的に考えて。端っこは数パーセント。
 優秀でも劣等でもないのが大半、だから優秀と劣等が定義できるわけでね。
 そして観察してきた意見なんだけど、
 弱者は別に弱いわけではないってことが往々にしてある。
 弱者って名のついたポジションに立ってるだけだね。
 おかしな話だけど、弱者っていう旗を振り回して暴れる奴いるし。
 一番ぶっ殺したくなるわ、弱者ごときが調子に乗るな。便器舐めてろ。

 本当に生まれ持った能力として弱い、おかしい、劣ってる、そんな奴はあんまりいない。不細工は多い、ドンマイだぜ。(グスン)
 奇妙だけど、人間って奴は一旦ポジションに落ち着くと、それらしい存在に変容していくってことだ。
 分かりやすく言うと、いじめられっ子は生まれたときから体質的にいじめられっ子なんじゃなくて、
 いじめられたことで段々いじめられっ子になっていった、とまぁそういう訳だ。
 (多分、本当の最初は、親がその子をいじめたんだろうね)
 だからいじめられっ子って、どこ行ってもいじめられるんですよ、いじめのどっちが悪いとか原因とか、そんなのどうでもいい。
 ただ、笑うわそんなん。
 そして、そのポジションに落ちたからといって、それに合わせることをしなければ、ポジションは勝手に変わる。
 いじめられっ子じゃない奴は、天災みたいにいじめられることはあっても、永劫いじめられるってことは無い。
 だっていじめられっ子じゃないんだもん。
 屁理屈みたいだけど、真理ですよ。
 人に本質はないけど、行動には理が血のように通ってて、それを本質として衣服のように纏うことは可能だからね。

 結局ね、居心地がいいんだよ。ポジションにいることが。
 どこでもない場所をフヨフヨするぐらいなら、いじめられていた方が楽。どこ行ってもいじめられる奴は、潜在的にそういう素質。
 僕には理解できない心理だけど、他にそんなダルいポジションに居座る理由が有り得ない。
 だから僕嫌いなんです。

 じゃあ、本当に苦しいのは誰だろうって考えると、それは”あいだのひと”だと思うの。
 ちょっぴり強い、ちょっぴり異常、ちょっぴり優秀、そういう人が一番キツイと思う。不幸かはともかく、試練は二倍。
 例えばホラ、世の中バカの方が絶対ラクじゃん、世の中の大半バカで、だから世の中の殆どはバカ向けに出来てる。
 すげー頭がいいとかなら、そのバカ界から解脱して、頭いい人たちのコミュニティで生活できるでしょ。
 でもそこまででもない、ちょっぴり頭がいい人はバカ界から抜け出せず、すげー頭がいい人には見下され、見渡せば話の通じないバカばかり。
 これが悲劇だ。
 絶対障害者よりしんどいですよ。
 障害者はしんどいこといっぱいあるけど福利厚生上、社会的にはむしろ強者ですからね。
 ただこれもポジションですから。ポジションは克服できる。
 ちょっぴりはね、治らないんですよ。
 嗚呼、どうせなら障害者に生まれたかった、目に見えて欠けてる人間になりたかった、こんなに浮いてるのはむしろ自分が飛びぬけて愚かだからじゃないか、だったら自分は障害者そのものじゃないか、社会的な強みもないままに、
 まぁまぁそういうことが頭をよぎりますよ。
 まるで印籠のように病名を掲げられる人間が羨ましいですわ。気楽に「死にたい」って言える人間が。
 死ぬ人間は「死にたい」って言わないですよ。どちらかというと、死にたくない人間の方が死ぬ。「死にたい」って気楽な言葉だ。
 病気も自分の一部だから? やめとけ、似非人格者は。(笑)
 病気は病気以外のなんでもないし、生きてること自体病気だよ。

 何の話だっけ。そうそう、あいだのことね。もういいや、あいだとか端っことか。(飽きた)
 僕には僕の道があって、これだけが真ん中なんだ。
 ううう、辛い。何もかもが世の中とちょっぴりずれている僕は、もうどこに合わせたらいいのか分からない。
 変な顔に変な頭、非力な手足に狂った思考回路、そのどれもが世間から面白くない程度に半端にずれてる、もうおしまいだぁぁぁぁ~! ラヴィ!

素晴らしい人たち

03 15, 2017 | たわ言

 人間的に魅力的であることと、その人間が作るものが魅力的であることは、全くイコールではない。
 が、実際のところ、魅力的な人間の方が面白いものを作る傾向にある。
 ここで言う「魅力的」とは、勿論人格者のことではない。
 断言しておくが……
 人格者が作るものは面白くない。
 少し補足すると、言葉の根本的に”人格者”とは普遍的な生活を送る能力に長けた人間のことを指すので、
 そういう人間は当然ですが、普遍的な生活を送ったほうがいいんですよ。その方がみんな幸せになる。
 そうではない、ありのままで生きるとあまりに他人や自分を傷つけてしまう人間こそが、創作せずにおれないだから。

 あとこの国では未だに儒教の考えって根元の方にあるから(僕、芯から儒教大嫌いです)混同されがちだけど、
 礼儀がしっかりしてることと、人格者であることは全く関係性が無い。全然無い。
 礼節をわきまえるのは、「そうするのが格好いいから」と思ってる人がやると格好いい。
 「そうするもんだから」って思ってる奴がやると凄くダサい、そしてメッチャクチャ失礼。黙ってた方がマシ。
 僕は礼節をわきまえて仲良くなれないなら、無礼に仲良くなりたい方なので、どっちでもないけど。

 では破滅していく人間は魅力的だろうか?
 まぁ、目は引くよね。
 そもそも人間、いつかは死ぬんだからそういう意味では全員破滅しますよ。
 問題は、一日や一瞬の間で小規模な破滅や再生は常に起きていることを認識することだね。
 例えば毎日毎時毎分毎秒、身体のどこかで癌細胞は生まれているし、放っておいても脳細胞は死ぬ。
 破滅はとてもありきたりで、それでいて大事件だから、それを発露させてくれる存在(=破滅的な人間)はどうしたって魅力的。
 人格者って、そういう意味では正反対の位置にあると思うんだよね。
 礎になっていくというか、積み上げていくというか。それが悪いとは言わないよ、っていうか正しいし偉いよ、だって人格者だもん。
 そういう人間がいないと、なんならでっかい破滅が起きないことも確かだし。アハハ。

 とすると、アレかな……僕が人格者はつまんなくて、破滅的なの最高って思ってるのは、僕自身が単に破滅的だからかな。
 多分、そうだな。

 まぁでも僕は人格者って奴も嫌いじゃなくて、言いたいのは一つだけ。
 似非人格者になるなってことだね。
 礼節の部分でも触れたけど、「そういうもんだから」って動機で人格者”風な”行動をとる人間のこと。
 そういう行動は一見丸く収まってるかもしんないけど、思慮する人間を一番傷つけるし、魂を侵害するんだよね。
 おまけに他人にも同じ行動を強要するんだよな、そういう似非はさ。無自覚に。ホント死ねよ。

 長い目で見れば、そういう行動は最終的に不愉快でインチキくさい空気を蔓延させるだけだし、いいことなんか一つも無い。
 なんなら破滅的な人間を、破滅的な行動に走らせる理由はそういう奴らが存在することだからね。
 いるんだよな、自分いかにも暗いです、人の痛み分かります、って顔してるくせにそういう輩が。邪悪だよな。
 知ったかぶるな、媚びへつらうな、尊大になるな、お前もお前が作ったモンはすげーちっぽけだよ。
 飛行機も電球も車も芸術も命も全部ちっぽけだよ。
 だから守るんだ。

2月ライブ

03 15, 2017 | ライブ

2017/2/8 三軒茶屋ヘブンズドア
Chapter48:「Underdog」
1.DAWN
2.MOON
3.ORPHAN
4.RUST
5.OIL
6.MADARA
-en-
7.ペレストロイカ

負け犬……?
犬は、好きだよ。

2017/2/11 越谷EASY GOINGS
Chapter49:「Smoked」
1.MADARA
2.悪童の乖
3.MOON
4.RUST
5.ORPHAN
6.MADARA

BLOWIN "SMOKED"のGhettoも美味しかろう?
※BLOWIN SMOKEが一番手、俺らが二番手だったので

2017/2/15 三軒茶屋ヘブンズドア
Chapter50:「Xfile Memory」→「アホくさ」
1.死
2.ね
3.ク
4.ソ
5.共

俺は悪巧みは好きだが悪ふざけは嫌いだ。
※四番手、五番手のときの観客のマナーが最悪だったので

2017/2/28 両国SUNRIZE
Chapter51:「夜の子供たち」
1.悪童の乖
2.ORPHAN
3.RUST
4.MADARA
5.OIL

子供たち、大人をからかうんじゃないよ。
怖い目に遭うからね。
※子供たち、打ち上げがサンライズの人たちと俺とテツさんだけってのは少しふがいないんじゃないか?
※子供は遊べよ!!

共感は危険だ

03 06, 2017 | たわ言

 コミュニケーションが侵略の手段になって久しい。
 少なくともこの国でのそれは、生活という戦争を生き残るための武器だ。
 正直アフリカのとある国の人間が貧困や差別で戦闘しているのと、別に何も変わらない。
 そのコミュニケーションの中で、一番凶悪な破壊力を持つものが「共感」だ。
 共感はあらゆるものを凌駕する。あらゆるものを支配する。
 人は、共感してしまったものに牙を向くことは出来ない。
 共感は危険だ。

 日頃メチャクチャのクソミソに怒り狂って偉そうに頭ごなしに否定してるけど、
 別に間違った意見も行動も世の中にはありはしない。そんなことは分かってる。
 あるのは気に入らないタイミングか、気に入らない言い方があるだけだ。
 タイミングって奴は本当に厄介で、馬鹿な僕なんかは数日、下手したら数年経っていきなり分かるんだ。
 「あ、あのときあの娘、笑ってたんじゃなくて泣いてたのか。
 分かるわけねえだろ、なんで笑いやがる」
 「あ、あのときあの人、怒ってたんじゃなくて悲しかったのか……」
 とかね。そいつのことを考えていたわけでもないのに、急にふと湧き上がりやがる。
 いっそ死ぬまで分からなければよかった。
 僕はその都度とんでもなく馬鹿な行動をしてたってことになるんだぞ。そしてその通りなんだ。

 僕は共感依存症だ。乞食と言ってもいい、共感乞食。
 と言っても共感されるのは好きじゃない。共感するのが好きなんだ。
 好きというか、半ば強制的に勝手に共感する。
 こゆとき分かるーって言うけど、全然分かってない。そりゃそいつの心理的な動きは理解できるから別に嘘は言ってないけど。
 あるのは他人を通して自分が分かるだけ。寂しい世界。
 それでも目に映る全てはいつも僕に入ってきて、話しかけてきて、そのときは困ってしまう。
 頭の中でうじゃうじゃと五月蝿いこの言語が僕だとしたら、きっと僕は発狂してしまうな。あまりの醜さに。
 さっきの話、メチャクチャのクソミソに怒り狂って偉そうに頭ごなしに否定してる人が多いよね。
 彼らが僕の中に入ってきてそう言うんだ。僕はそういうクソみたいな人間にも同調してしまう。クソだから。
 そして覚えてしまう。余計なことを。

 そして自分がそうだから、共感は暴力だと分かる。

 共感って、優しいからとか、想像力が豊かとか、そんな生半可な話じゃない。
 共感してしまうことは、端的に言うと自分の分身を増やすということだ。
 その人が傷つけば同じ感性の自分も傷つく。傷が伝搬する。
 僕は僕の目に入るものの中で傷つく人がいれば、僕も傷つく。
 そして、僕はその人に何かをしてあげることが出来ない。
 何故なら傷ついているのは僕で、僕はそれに抗う術を持たないが故に傷ついているのだから。
 僕だって痛いんだ。
 ハハハ。

 共感はあまりに無防備だ、いつだって。
 そして共感した存在が、共感の範疇から抜け出すと「裏切られた」「拒絶された」と感じる。
 これは思い上がりだ。しかし、半身を失った痛みをどう誤魔化せばいい?
 共感したはずの大切な存在を攻撃してしまうんだ。
 あんなに大切にしていた、傷つけたくないと思っていたものを自ら傷つけようと、損なおうとする。
 亡き者にしようかとでもいうくらい、時には過激に。
 もしかしたらそれは、その分だけ損なってしまったのかもしれない、自らを。
 どうすればいいんだろう?
 勿論共感を否定してしまったらおしまいだ。座標が無くなる。宇宙空間をぼんやり漂ってしまう。
 傷ついたからって誰かを攻撃してはいけない、と思うか?
 その通りだ、だけどその理屈は共感に乏しい人間の判断だ。僕には共感しかねるな。
 そんな奴、悪い意味で超人だよ。
 本当は誰も悪くないんだ。

 一度共感出来なくなったものに、再び共感出来ることがあるのだろうか?
 あるような気がするが、少なくとも僕には極めて難しい。
 千切れた手足を元通りくっつけろとか、そういうレベルの要求だからだ。

 難問すぎて珍しくオチなし。
 いや、共感は暴力だ。

 とすれば、傷つけあうことでしか理解できないのかもしれない。
 僕はそれが哀しい。
 けして僕に共感しないで欲しい。
 今までも、これからも。

不覚

03 06, 2017 | 日常

 他所での僕の発言を見ている人はなんとなく分かると思いますが、
 去年の十月頃から精神を失調していて、治っていません。
 いやむしろ、じわじわと悪化している。
 毒物を食べて、一応消化できてはいるのだけど、そのペースの回転が早すぎて身体と心の代謝が追いついていないのでしょう。
 何処かでガラッと変えなければならないのだけど、その手立てが今のところ見つかっていない。
 というか、現状のパーツで修理とか、そういうことではもう取り返しがつかない気がする。
 何か抜本的な解決方法を……なんて、そんなものはありはしない。
 それでも僕は大丈夫だ。僕はさらけ出す事が出来る。

 彼の人と話し合うことはいくらでも可能なのだけど、話を聞いてあげることは僕の役割ではない。
 何故ならそれは最も適した人間が彼の人のすぐ側に、他にいるから、まさにそうなのだけど一向にそうはならない。
 彼らは向かい合うことが出来ないのだろうか?
 最も醜く絶対に死んでも誰にも見せたくない自らの恥を、みっともなさを、愚かしさを、何故さらけ出す事が出来ないのだろう。
 何も全世界にそれを発信することはない。ただ、その一人にだけ打ち明ければ済む話だ。
 それどころか、そちらの方は停滞してしまった。
 どうにかなるとでも思ってるのだろうか? 過程や目的なんて全く知りたくもないが、芯から向き合ってそうはなるまい。
 こんなぼやきさえ余計なお世話そのものだ。
 知りもしないでよくこんなにほざけるものだ、僕も。何様だろう。
 この心配すら僕の範疇じゃない、以前から引っ掛かっていたことだけど、もしかして、その当時から今に至るまで引っ掛かっていたのは僕だけか?
 だとしたら、周りは無神経すぎるんじゃないか?
 いや、僕も関わらないと決めているから同類か。大バカだな。
 本当にカッコ悪くて無様で惨めで、そしてだからこそ愛おしい。
 日頃の美しさの影を、平然とした顔と水面下のバタ足を知ることが唯一無二の愛し方だよ。
 そう思えない相手とは、人は長く一緒にはいられないでしょう。
 僕は白状して欲しかった。
 僕に対してではない。
 彼の人が、彼の人を最も大事にする人間に対して。

 白状したかそうでないか。
 そんなことは関係のない僕でも分かることだよ。聞かなくても、その場にいなくてもね。