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鳩 正義

Author:鳩 正義
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11 22, 2013 | 日常

 酔っているうえにまとまらないことを茫洋と書くので、読みにくいことと支離滅裂なことは容赦してほしい。
 まぁ、理屈を期待して俺のブログを読んでる奴はナンセンスだけど。そんな奴は鼻毛全部もげて風邪をひけ。

 世の中おかしなことは多々あるもので、特に何があったというわけでも、いやあったんだけど、上手いこと回ってんなぁと思うことは結構ある。
 勿論「え、なんでここで来ねえかな~」とか、運命を呪ってみたりとかはその百倍あるわけだけど。
 見も蓋もないけど、世の中のほとんどは昔から言うが、結局タイミングがほとんどだな。

 ザ・ワールド・イズ・マインでも「人はタイミングで泣く」と一説があるが、ま、そういうこった。
 沢山の事象が好き放題に動いてて、自分のために動いてる流れなんか、その中にあるはずもないわけ。
 でも時に歯車の全てが上手いこと合致して、「俺がこう思ってる、まさにこのときに、これかぁ~」なんて、ボロボロ泣いちゃったり。やべーって感動したり。人間、いや俺ってホント単純だな、とか。

 俺は結構こんな見た目をして、というか、いかつい人や気張ってる人ほどロマンチストだったりするのがほとんどだけど、俺も自他共に認めるロマンチストなわけだ。(更に言えば、創作家がロマンチストじゃないなんて嘘じゃん)
 だから運命とかなんとか思ってみたりするけど、結局そんなものは勘違いや思い込みや誤解、後付けだったり、要はどんなに捻ろうが誤魔化そうが意味ないんだわ。現実は常に期待を裏切り続ける。事実は小説よりも奇なり、ってのはそういう意味で言われたんだと俺は思う。
 俺は真実なんてクソだ、嘘だって死ぬまで貫いたら真実にだって勝てる、クソみてーな現実より美しい虚構を慮っていくことを選んだんだけど、どうにもそれさえ揺らぐ奴も多い。アホか。
 だってよ、現実ほど不確かなものも、中々無いというか……常々言ってるが、人間なんて部品が生体ってだけで、大してコンピュータと変わらんのだから、しょっちゅうバグるし、脳みそがバグったら現実なんて素粒子と一緒だ。雪山の死体は時たま裸だったりするけど、アレは体温が下がりすぎて暑く感じるから服を脱ぐわけ。雪山で服脱ぐなんて、理屈で考えたら死ぬに決まってるじゃんね。

 何の話だっけ。インナーチャイルドの話するわ。
 インナーチャイルドというのは、文字通り内なる子供という意味で、普段は社会的生物としてのペルソナ、表層心理としての健在意識、深層心理と人間の多層構造の心の中で、それとは別枠の幼少期の人格を指す。厳密というか実際の定義は違うかもしれないが、俺はそう解釈している。
 よくバンドマンや音楽をやってる人は、自分のことを子供という。また、同属も子供と表現する。違うと思う。社会的、つまり戸籍の上や社会生活の中では立派に大人だ。そこをどう屁理屈こねてひっくり返したって、見た目は変わらん。
 内なる子供がいることは否定しない、むしろ否定なんかできっこないが、それをもてあましてるだけだ。
 それじゃあただの、大人になりきれないアダルトチルドレンなんだよ。超不細工だね。それはつまんないわ。
 子供であることは罪でも罰でもないけど、時間はどうあがいたって過ぎるから、その過ぎた時間の中で自分のインナーチャイルドの弄び方を学ぶことが生きる、作品を作る、という中で抗えない事象で、かつ、それを怠ってる自分の言い訳に「俺は子供だから」って言ってる奴が多すぎる。すげーダサい。
 自覚の有る無しは問わずインナーチャイルドは確実に存在するわけだけど、大事にしすぎても淀むだけだし、無視したってあらゆる出来事がちぐはぐになるから、ただのへんてこな愚にもつかない俗物にしかならない。
 それじゃあ駄目だよ。過去の出来事や悲しむ自分の偽りなき純粋で愚かで幼い心さえも、創作の糧にしなくちゃあ。悲劇も喜劇も全て人生というモノヅクリの材料でしかない。何これ誰に言ってんだ?俺 to my innerchild?へへへ。
 ダディに「誰にもの言ってんだこのブログは」的なことを言われたが、ホント、誰に言ってんだろうか。自分か?過去の?未来の?今の?壁?壁に向かって言ってるのか?壁はすごく饒舌だ、壁は全て知っている。壁は俺の今までの全てを見透かし理解し拒絶し否定し許し焦がし正し辞めとこう。

 タイミングの話に戻すか。
 運命というテーマは昔から無数の作品で取り扱われている。何故か。そりゃあ、冒頭で述べた「上手いこと回ってんな」という気持ちを、多くの創作家が感じてたからだろう。
 そこに意味を見出す/見出さないはセンスの良し悪しでしかないが、俺は「おもしろきこともなき世をおもしろく」なので、意味をこじつけたい。
 急に話が飛ぶが、俺の好きな漫画のJOJOも「人間賛歌」というテーマのもとに、運命というものをよく描く。
 大体五部くらいまでは、この運命を主人公たちが自らの手で切り開くという形を取っていたが、六部から「それでも覆らない事実がある」という一種の空しさや虚無感が通奏低音として入ってきて、作品全体にそれまでとは別の暗さや深みを与えている。
 ネタバレだが、六部は主人公勢完全敗北するしね。あれは作者の荒木の心境の変化か、はたまたこれまで描いてきたものとは別のものを読者に見せたかったのか、あるいは5部から6部までの間に何か特別な仕掛けが施されているのか、俺がそれを見落としているだけかそれは分からない。
 ヒントはありとあらゆるところに隠されていて、ほとんどの場合すでに目にしていて、それに気付くかどうか、それでしかないのだ。必死に目をかっ開いていても見落とすし、何の気なしにチラ見した奴が重大な手がかりだったり。それは誰にも分からない。結局のところ、どんなに24時間気を張っていても、分からない。常に感覚をフル稼働させていれば気付けるかというと、そうでもない。
 誰が、何が、そうさせているのか、裏には何もないのか……考えるだけ無駄なのか、考えたらいつか分かるのか、それさえも確かじゃない。何も確かじゃない。気が狂うなという方がどうかしている。
 運命、タイミング、縁、運、この世は分からんことばかりだ。やべえ全然まとまってねえ。まあいいや。おやすみ。
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