02
2013

宗狂

CATEGORYたわ言
 宗教については、あまり造詣が深くないもので書くのを避けていたが、つい最近仏教について少し勉強しているので、一旦ここで整理がてらまとめてみようと思う。
 先に述べておくと、俺は何の宗派でもないし、政治的主張もない。アナーキスト。科学的というわけでもない。多くの日本人同様無宗教教(むしゅうきょうきょう)だ。
 だから怒らないでください^^
 無宗教教というのは、多くの日本人は特別何を信じるというより、何かを信じていることにアレルギーがある。
 それは、かの某カルト学会だったり、オウム真理教の影響だったりするんだろうけど。あまりに拒否反応が典型的と言うか、それはそれでバカっぽいので、それもまた「何も信じません」という宗派に見える。
 まずざっくりと、世の三大宗教の印象を述べたい。(※偏見です)

 ・キリスト教
 エンターテイメント。

 ・仏教
 哲学。

 ・イスラム教
 テロ。 

 まずキリスト教から。
 身の回りの刺激や意見ではキリスト教的なものに触れる機会が多いが、俺は全くキリスト教徒ではない。
 長岡にいた頃、確かハイティーンの頃だったと思うが、結構ロードバイクに乗った外人二人が布教してることが多く、俺も何度か話しかけられた。
 某学会ほど強烈な勧誘ではないものの、「あなたは神を信じますか?」的な常套句から始まるわけだ。マジで。
「いや(あなたの言う神は)いないと思います」
「神というものは常に私たちの側にいてうんぬんかんぬん」
「(あかんこいつらバカだ)全知全能なら、もっと世の中マシでもいいと思うんですけど」
「神は直接手を下しません。私たちは神のメッセージを受け取りながら自らの意思でうんぬんかんぬん」
「駄目だこりゃ」
「……?」(ニコニコ
 みたいな感じだ。
 当時の俺はマリリン・マンソンやナイン・インチ・ネイルズをよく聞いていたので、ものの見事に捻じ曲がっていたが、思考停止した奴は何を信じていようとバカなんだと思った。(※偏見です)

 大体、宗教を信じてる奴の目がマジありえん。あのすっからかんの目が。濁っているんだか、いないんだか。よく分からん。
 人間はみな、誰一人例外なく心に空洞を持っていて(というか、心など無い)、人生長くてそれだと気が狂いそうだから、その空洞を埋めるために仕事したり神を信じたりしている。繰り返すが、例外は無い。
 その点、宗教を信じてさえいれば生きていけるという、か弱い人たちは少なからず地球にいて、しっかりと世の中を動かすエネルギーの一つになっている。程度の差はあれど何かしらの宗派に属していないほうが人類では少数派だ。
 これから分かることは、宗教というものは非常にシステマチックだということ。

 そもそも信仰の成り立ちというものは、世の中にはよく分からん仕組みが沢山あって、「で、なんなんだよ」と理屈を色々つけたものと、権威付けの2種類だ。
 例えば太陽はアポロンが馬車に乗って運んでいて、天候が恵まれず不作が続くのは神が不機嫌だからとか、攫われたからだ、とか。
 現代でこそ「やー、君、アホじゃろう」と言えるが、当時のその国に生まれて、ろくに反論できる奴なんかいるわけねー。否定できる科学も発達してねーもん。
 因みに、科学者にも信者は結構いる。流石に全肯定はしていないだろうが、要所要所では「神の壁」(隙間の神)などと言って、神がいると思わないと納得できない謎なんかがあったりするわけだ。
 それを思考停止だのなんだのと批判したってしょうがない。だって今はまだわかんねーんだもん。
 権威付けというものは……ギリシャ神話が顕著だが、最高神ゼウスはめちゃめちゃ子沢山だ。自分の子供とか人間とか、片っ端から子供を作りまくってる。そして嫁が嫉妬に狂って子供が酷い目にあいまくってる。自重しろ……。
 これはなぜかと言うと、時の権力者が、「俺は神の子孫だ」と言って自分の権威に神性をつけるためにでっちあげまくった結果だ。いやまぁ、本当にそうかもしれねーけど。(笑)
 日本も例外ではなく、天皇は太陽神天照大御神の子孫だ。大きく出たなぁ。
 日本列島というものは、日本神話だと、これまた天皇の先祖のイザナギとイザナミがセックスして出来た。嫌すぎる……。
 まぁ、一番この世で大きく出てるのはインド神話ですけどね。

 神話で下世話な話が多いのも、やはり当時の娯楽、言うなればシェイクスピアやオペラみてーなもんだったのだろう。
 自分がどこから来たのか、死んだらどうなるのか、そういった不安や疑問を楽しみながら当てはめていったわけだな。俺も無宗教教的感覚で考えると、この辺ですでにアレルギーが反応しかねないが、当時は結構健全だったのではないかと思う。
 どちらかというと、現代日本のように信じるものも特になく、死んだら無、諸行無常と仏教のごく一部の観念だけ近視眼的に捉えているほうがよっぽど不健康だ。
 ただ、システマチックとは言ったものの、キリスト教の話は現代だとさすがに突飛な部分が多すぎる。無邪気に妄信するのは、さすがにもう無理だ。だから幾つか宗派が分岐してるわけだけど、そもそもスタートが可笑しい。大工の息子が神の息子っていうのはちょっと。世直ししたいなら、もっとスムーズなところから始めとけよ。
 ……ゆえに、やはりエンターテイメントと結論づけておくのが正しい認識だろう。聖書なんて人類最古のベストセラーですよ。東野圭吾みたいなもんだよ。

 イスラム教に関しては、言ってることはなんとなく分かるが、潔癖すぎる。戒律も厳しすぎる。
 厳しすぎて、信者が切れて爆発している。物理的に。
 あまりにテロリズムの印象が強すぎて、ちょっと俺も正しい判断が出来かねるのでこの件は何も言わない。永田町はふっ飛ばしてもいいです。

 さて、仏教だが、基本的に仏陀の教えは理路整然としていて、分かりやすい上に納得しやすい。
 基本的な概念さえ理解していれば、理論の軸が非常にしっかりしているので、派生した考え方もすんなり飲み込める。正しく伝わっていないとはいえ、やはり日本には仏教の教えが根付いているのだなと思う。
 仏陀の発言を読むほど、「なんだ、俺と考えてること同じだな。仏陀やるじゃん」となる。
 俺も着実に悟りの高みを登っているようだ。道理でデコが広くなってきたわけだ。(※こんな痴れ事を言っても怒らない懐がまさに仏)
 儒教とか密教とか大乗仏教とか小乗仏教とか、そういうのはまだ勉強不足というか、そもそも興味がないので仏陀の思想だけまとめておく。
 まず、「この世は苦しい場所」という前提がよい。どう考えてもそうだわ。
 あと、結構誤解されているようだが、仏陀は輪廻転生を肯定も否定もしていない。
 有名な毒矢の話を用いてそれについて語っているので、ここに紹介する。

 ある人が釈迦に、「この世は永久のものでしょうか、無常のものでしょうか。世界には限りがあるのでしょうか、無限のものでしょうか…」等々、次々に質問を浴びせた。
 釈迦はその質問に直接は答えず、「毒矢に当たった者が、矢を抜く前に『矢を放った者は誰か、矢の材質は、私を診察する医師の名は、その階級は…』と聞いていたらどうなるだろうか。」と言い、真理を知ることよりも先にやるべきことがあると諭した。

 要するに、そんなこと考えてる暇があったら今をちゃんと生きろ的なニュアンスだ。
 この発言は、中道という仏陀が提唱した理念によく則している。
 中道というものは、物凄くかいつまんで言うと、いい加減が良い加減ってことだな。普段の俺となんら変わりない。
 それまでは空観(世界は空ろな幻)、仮観(世界は実測的)という二種類の発想しかなかったが、そのどちらも二辺(にへん)であると批判(否定ではない)して、その中間こそ覇道であるという考え方だ。
 空観について更に述べると、目に見えるものは全て幻で、だから全て移り変わり(諸行無常)、魂は何度も輪廻するという発想。だから断食などの苦行を経て悟り、その輪廻から解脱することを目標としている。
 仮観とはこの世は目に見えるものが全てであり、だから享楽的に楽しんだもの勝ちという発想。

 (ちなみに、さっきから仏陀仏陀と言ってるが、仏陀とは目覚めた人を意味するので、正しくは一個人を限定した言葉ではない。
 勿論俺が言っている仏陀とは釈迦、及びゴータマ・シッダッタのことである)

 ここで仏陀、ロックだなと思うのが、王子という身分を尾崎豊的に捨てて誰よりも激しく苦行した点だ。
 結果的に6、7年して「これじゃ悟れんわ」つって辞めて乳粥を貪り悟るわけだが、誰よりも激しく苦行したから悟れたのではないかとすら思う。
 ここからは俺の考え方だが、いきなり中道、どっちでもないという道をとって人間が到達できる域などたかが知れてる。一辺を知ってこそ、程よい中間に気づくことができるわけだ。
 まぁ、あの見た目自体ロックだよな、そもそも。悟ってるくせにパンチパーマだぞ。(※違います)

 ちょっと正しい例えではないが、「昔ヤンチャしててさぁ」なんて言うオッサン、俺は勿論信用しない。「開き直るなクズ」と思う。丸くなるって言い方も嫌いだ。俺は開き直らないクズ。
 本気で尖ってた人は成長して「昔ヤンチャしてた」とは言わない。たまには語る機会もあるだろうが、それにしても自慢げってこたーねーわ。刑務所入っちゃうし。
 「ヤンチャしててさぁ」は論外として、多少なりとも尖ったことのない奴に、一体何が理解できるというのだろう。
 いや、そりゃー、別に殴り合いしろとか盗んだバイク走り出せって言ってんじゃないが、気張るポイントのない奴は何やったって芽の出ないヘタレだわ。繰り返すが、暴力や犯罪が気張るポイントと言ってるわけではない。
 大人しく働けと言いたいところだが、残念ながら社会の歯車になったとしても、ロクな性能じゃない。
 いい年こいてメンチ切ってるようなバカも勿論問題外だ。何事も程々が一番。しかしこれは別に、事なかれとか長いものに巻かれるとは全然、全く、これっぽちも違う。
 そこんとこ分かってない奴が多いですね。
 話がズレたので、仏陀の発言についてはまた改めて整理することにしよう。本当に話まとめるのが下手だな俺は。
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