07
2014

落涙

CATEGORYたわ言
 感動すると俺はよく泣くんだけど、泣くというものは一体どういうことなのだろう。
 これだけは定義しておこう。泣くという行為は、ある種の傲慢さと欺瞞を持ち合わせているということを。
 本当に苦しいときに人は泣かない。涙は血液から血球を取り除いたもので、実態は色の無い血液だ。涙はその全てが血涙であるとも言える。
 感情の発露として泣くこと。それは味気ない表現をすると、ストレス発散だ。血中に溜まったストレスを涙として放出することで、「泣くとスッキリする」わけだ。
 つまりストレスが溜まっていれば、人はちょっとしたことで泣く。映画で主要人物が死ぬ、ショックを受ける。泣く。俺はそういう目的の死人にはびくともしないけど。

 個人的な偏見でいうと、ヒトモドキはよく泣く。すぐ泣く。心が弱い(というか持ってない)ので、世間一般でいう悲しい出来事に出くわしたり、叙情的な音楽が流れて苦しみながら人が死ぬと泣く。
 何故か。
 それは習性だからだ。こういう場面を目にしたら泣く、そういう刷り込みが幼少期から形成されている。パブロフの犬と同じだ。奴の涙は涎と変わらない。嘘偽りそのものだ。
 基本的に邦画のやり方があざとく、ワンパターンな上にバレバレで呆れる。
 恋空とかあったじゃん。見てないけど。
 見てないのにあらすじは知ってる。恋人が白血病(こういうのは大体白血病なんだよな。ウケる)で死ぬんだろ? 宣伝ポスターで、役者の白髪のカツラが全然似合ってなくて笑った。
 死ぬって分かるじゃん。見る前から。なのに泣く。意味不明。お涙頂戴ってこういうときに使うんだよな。
 別にいいけどさ。好きならそういうの1000本でも見ればいいのに。涙も枯れ果てるだろ。
 しかしそこまでの数を見るわけでもない。大体こういうのって女だろ? これも偏見だけど。「チョー泣いた!」「感動したー」とかあるやん、映画のCMで。絶対見ない。そもそも作品を見る見ない、聞く聞かないの観点に「泣く」を置く意味が分からない。泣けないと駄作なのか。
 でもまぁ、そうか。ストレス発散だもんな。スポーツとかと一緒だもんな。いっか。別に。どうせ見ないんだし。

 こんだけ叩いといて、実は俺にもそういうポイントがある。
 動物ものが駄目だ、俺は。
 動物の心情なんか分かりっこないし推測もしないが、例えば柴犬がしょぼくれてる(ように見える)だけですぐ泣く。反対に、飼い主にあやしてもらって、むちゃくちゃはしゃいだりしてても涙腺を痛打される。
 一つ言っておくが、犬や猫が純情だとか綺麗だとか素直だなんて、これっぽっちも思っていない。が、泣く。意味不明。そのときの俺の涙は涎だ。
 動物が人間の言葉を喋る奴とか、ディズニーのアニメとかは平気。全然話に入り込まない。平気で屁こいて鼻ほじりながら見れる。ハチ公とか南極物語とかが無理。撃沈する。

 本当に苦しいとき人は泣かない、の話に戻ろうか。
 泣けるというのは精々、単一的な不幸や悲しみで済む場合がほとんどだ。彼氏と別れたー、とか。大学落ちたー、とか。
 そういうのは実際、大して辛くない。むしろ自由になれて良かったじゃん、おまけに悲劇のヒロイン気取れたんだし。もう満足だろ? はよ次行けや、ぐらいの感じ。
 無論笑えない場合もあるが……それは複合的な悲しみに起因する。そういう場合は涙など出ない。頭で分かっていても気持ちが追い付かないからだ。
 大切な人がいなくなってしまって、でも実感が湧かず、まだ生きてるんじゃないか、不意に電話で「元気?」なんて言ってくるんじゃないか、そんな気さえする。
 ある日「ああ、いないのか」そう気づくと、もうあとには戻れない。そして涙がこぼれる。そういう涙は、本人は嬉しくないだろうが、美しい。本当にそこらの涎と同じかと困惑する。まるで宝石ではないか。
 その涙の価値こそが、その人の生きた証であり、その人を思う気持ちの尊さである。心とはそういうものだ。

 急に話が変わるが、俺はもらい泣きは素晴らしい行為だと思う。
 例えばファミレスで、女二人が失恋したかで泣きあってるわけだ。もうアホみたいに泣いてる。よくよく話を聞くと、当事者じゃないほうがよく泣いてる。無責任だからだろう、同調してると見せかけて話を楽しんでいるんだろう、そういう捉え方は凡人の発想だ。
 相手の気持ちに立つ、想像している、そしてその想像は本人を超えている。素晴らしい。失恋の甲斐があるというものだ。で、泣いてスッキリしたあとは腹が減るから、もりもり飯を食う。当事者よりスッキリしている。こういう女が良い女だ。
 恋空見て泣くような奴でも、ここまでいったら良い奴だ。人の気持ちを想像できることほど素敵なことはない。俺は面と向かってもらい泣きはしないけど、それは価値観の違いでしかない。
 実際問題、もらい泣きすら出来ないほど想像力が欠如している奴が増えている。その原因はどうでもいい。どうせなんとかなることじゃない。
 俺なんか、自分の意見をあまり強く言えなそうなオッサンが、しょぼくれて歩いてるだけで泣く。小説のタイトルを見ただけで泣く。子供が走ってるだけで泣く。夕暮れで泣く。自分の歌でも泣く。
 もう自分勝手の域だと思う。泣くのに。泣きたいわけじゃないが、勝手に想像して勝手に感動して泣く。スッキリする。金もかからない。想像力とは一番の玩具であり宝なのだな。

 なんの話だっけ。そうそう、泣くね。繰り返すが、泣くという行為は傲慢だ。勝手な思い込みだ。
 そしてそれこそが素晴らしい。泣くほど思い込んだらそれが真実だ。それでいいじゃないか。意外とそういうものは本物を凌駕する。俺が小説のタイトルで想像した話は、その本を読んでみると案外どうってことなかったりする。俺が考えたストーリーの方がイケてるじゃないか! なんて風にね。
 自分を動かせない奴に、他の誰も動かせっこないんですよ。どうせ泣くなら、健やかに、しみじみと、時間がゆっくり流れるように泣こうね。涙はそうして流れるのです。
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