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ヒトモドキ

04 11, 2013 | たわ言

俺は常日頃から人のことをバカとかアホとかこき下ろしているが(最近はマシになった方)、実は人とすら思ってない場合がほとんどだ。
というのも人は哲学してこそ人になるのであって、遺伝子上人っぽいから人、などとトンチンカンなことを言われてもまるで納得がいかない。
哲学といっても大げさな話ではなく、例えば「あれってどういうことだ?」とか「これはどうしてこういう形だ?」とか、疑問に思ったり、好奇心を持ったり、そういうの。
そんなの誰だって持ってるだろ、と思うだろ? 俺もそう思ってたんだけど、なんと違ったんだよ!!!
これに気付いたときは心底びっくりした!!!
どいつもこいつも何にも不思議に思わず、知りたいとも思わず、やりたいこともなく、ただなんとなく生きて死んでるらしいってな!!
いやぁたまげたね。人生80年をそんな風に扱えるポンコツどもがこんなに多いとは。これはもはや教育どうこうじゃないな、有史以前から人間のほとんどはそんなポンコツと一部の考える葦だけで成り立ってたんだわ。アホらしい。
さすがにもうちょっといるでしょ、と思ってたけど、体感では10人に1人ってところだねー。日本だと9000万人が生きてても死んでてもいいようなガラクタってことだ。

そんな奴らを人間と呼ぶのは、ちょっとおこがましいよねー。
なまじ「人間みたいな」見た目をしてるから紛らわしいけど、あんな奴ら反射で生きてるだけだからね。虫と一緒。行動パターンが多いだけ。
そりゃあ叩けば痛がるし、文句を言われればへこみもするんだろうが、それこそ虫だってそれぐらいはするっていう。
情けなくなるよ。叩かれて「痛い!」で終わるんだぜアイツラ。「ムカつく!何しやがる!」だぜ。
「なんで叩かれたんだ!?」とか「俺なんか不味いこと言ったかな?」とか、そういう思考の余地はまったくないみたいなんだ。
これは、散々人をバカにしたりぶっ叩いたりした俺の観測だから、かなり的確ではなかろうか。

いかにヒトモドキが人以下であるかはここまでにしておいて、生まれつき人は99.99%くらいはヒトモドキだとも思っている。あなたもヒトモドキ、私もヒトモドキ。
人が人になる瞬間、それは教育とか、めっちゃ嬉しい体験とか、そんなチンケでスケールの小さいことではない。が、大概はどこにだってある話だったりする。

1つに。端的に言うと、拒絶がそうだろう。
人は社会的生物だから、同じ人という生き物から拒絶される、あるいは否定、あるいは攻撃される、あるいは無視されることが一番ダメージになる。
そのダメージに対して「何故?」と思うこと。「何故自分は拒絶されたのだろう?」「何故自分は攻撃されるのだろう?」などと疑問に思うことがヒトモドキが人に進化するきっかけの一つだ。
2つ目に、「死」、または「生」について疑問に思うことだろう。
人は死ぬとどうなるのだろう、人はドコから来たのだろう、などと考えることは哲学の原始的かつ根源的な問題であり、ひいては人が「考える」という行為で一番最初に思考したことだと推測している。
勿論答えは無い。考える人の数だけある。というか、所詮3次元に存在する生物には理解できっこないと言うか……。

いつも結論は初めに書くようにしているのだが、今回結論が特に無いのはそういう理由でもある。
まぁ、一番言いたいのはいい年こいてヒトモドキの思考停止生物は、殺したって殺人になんか値しないだろ、と。だって人じゃないんだから。ホント腹が立つよ。もう十数年苛立ち続けてるよ。虫ケラ以下のエントロピーの一要因でしかないゴミ屑を処分するのをずっと我慢してやってんだから、いっそ褒めて欲しいくらいだ。
音楽やってたりする奴なら、色々思索する人も多いと思うだろ? それがほとんどいないんだよ!!!びっくりした!!!!
幸い類は友を呼ぶので、俺の周りは人間が多いけども。

因みに俺は、ここまで言っておきながら、お前はヒトモドキなのか、と問われるとはっきりと否定はできない。
そもそも人とは何なのか、現時点では様々な事象を観測し自分なりに解釈し価値を査定し行動する生き物だと判断しているが、果たして自分が24時間そうしているだろうか、でなければ寝ている間は人間ではないのか、夢を見るという行為は事象の観測と判断してよいのか、物事を判断しなくなったアルツハイマーや観測する感覚器官を持たない植物人間は人ではないのか、思考回路のみが動作してあらゆる論理が展開できるのならなんら問題はないのではないか、または物質的な意見交換を超えて……
以下略。
自分の意見を確定させることほど危険なことはなく、常に自己の中で提唱と否定を繰り返し続けなければ、自我は自我足りえない。ヒトモドキをどんなにバカにしようと、所詮俺もヒトモドキなのだ。
しかしそれは納得がいかない、理屈は無いが。要するになんとなく。このなんとなくこそ人間らしさではないかと思う。色々試行錯誤して悩んで、色々解決法も見つけて、でもなんかよく分かんなくなったら、そんときゃなんとなくでいいだろ。
しかしそのなんとなく、というのも幼少期の体験や先天的、あるいは後天的遺伝、更には食生活や起床時間、同じ行動を繰り返した回数、読書した書物、見た絵画、理論、思想、主義、規律法則奇跡偶然天啓その他もろもろがもたらしたもので本当の意味での感覚的なものだとは断定しがたく以下略。


ちなみに人間の精神とは表層に存在する「意識」、普段意識されない「潜在意識」、行動原理の「無意識」の三層構造だと理解している。
まぁ深層意識や無意識の違い、記憶との関連性、相互作用などあるが、とても書ききれないので省くとして。
個人的にはその更に下に「共通無意識」とでもいうか、意識(イド)を持つ生物が、種族という殻、有機物という殻、分子という殻、素粒子という殻などを取り払った、魂の核とでも呼べるところで繋がっているのではないか、と考えている。
SF的で、やや理想論(そうであってほしい)的な部分は否めないが、さして珍しくも無い思想だ。
というのも、世の中こんなに不確定な要素と、不確定な確率と、不確定な可能性に囲まれておきながら、考えられないほど上手く回っているなと。
さっき言ったようにありえないほどヒトモドキは多いながら、一応2000年以上は人間も歴史を築けてきた、この凄さ。
これは共通無意識のような遥か奥の次元、あるいは上の次元で決定的な調和が取れていないとおかしいのではなかろうか。
まぁ、それを神とかなんとか言うのは簡単なんだけど、それは些か浅薄すぎるのでここで言及するのはやめておく。
そんなものがあろうとなかろうと、所詮それもエントロピーの一部に過ぎず、いずれ崩壊の一途を辿るのだし。
エントロピーの外側なのだとしたら、それは外部からの干渉、操作、侵略、洗脳、支配、何にせよあまりに一方的であまり褒められた行為ではないな。例えそれがなければ一瞬で崩壊するのがこの世界だとしても。

ええと何の話かと言うと、バカとかアホとか言ってるけど、実のところそんなに嫌いでもなければ、否定する気もないんだよね。何に対しても。
別に万物は違って当たり前だし。それぞれ長所と短所があるし。悪ですら必要悪って考え方もあるしな。
ただ俺は生命として停滞しているヒトモドキより、上昇意識のある人間のほうが好きっていうそれだけ。
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