27
2014

CATEGORY日常
 先日25になった、変わらず祝ってくれる人も、そうでない人もありがとう。
 丁度誕生日に日付の変わった頃、ラーメンを食いに出かけたら旅立ったはずの幸さんが唄っていた。そういえば去年の日付の変わった頃も同じ場所で同じ人といたな。一年というものの尺度をこれほど正確に理解したことは、もしかしたら初めての体験だったかもしれない。
 プレゼントにはまた幾つか素敵なものを頂いたけど、5年間日記なんてものをTOCが寄越した。いずれこのブログには日常のなんとかを書くことは全く無くすつもりだったけど、それはどうも来年からのようだ。

 僕は思うんだけど、ようやく、今になってようやく、少しだけ世の中の仕組みとか出来事とか、人とか気持ちとか、そんなものを知り始めたんじゃないかな。
 今までのなんやかやは全てこのための予行練習だとか、演習とか、そういうもので、人生のインチキな部分っていうのは、そういうリハーサルなんかも聴衆が全部眺めてるっていう野暮ったいところだね。そんなの嘘臭いよ。
 まぁ、君はむしろそんな気持ちを葬っている最中なのかもしれないけど。人の練習にとやかく言う気は無いよ。見苦しいからね、僕は目を瞑ってやるんだ。
 今言ったこととか、今僕が打ち込んでるこの機械のことだとか、君のすぐ近くの窓から見えるクソみたいな景色(窓から見える景色は海以外全部クソだ)とか、なんとなくそういうことがリアルになってきたんだな。ずっと前からリアルだったし、ここまではむしろ見失っていただけかもしれないが、まぁ、そういうぐるぐるもインチキの一つとしてさ……。
 長く話すことじゃないな。
 気に入った奴らと飲む酒は美味い。年をとることは中々に楽しい。出来なかったことがどんどん出来る、分からなった事がどんどん分かる。
 今更出来たって意味が無いよと君は言う、ああそうだ、そのときの意味は無い、だけど今出来た意味がある。意味が吐き出せなければ死んでいるのと同じだ。意味は勝手に吐き出すものだ。酩酊だ。与えられるものでも見出すものでも作るものでも教えられるものでもない。
 それだけ。
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