15
2015

半身を引き裂かれる痛み

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 時間が癒してくれる傷なんて所詮、その程度のものだよ。
 もっというと傷でもなんでもないんだ。
 時間が経つほどに鮮やかで血が吹き出してくる腐った傷。綺麗な傷。キス、キス、ギス、ギチ。
 君の病気は笑っちゃうくらい価値がないなぁ。治ったら?

 マニキュアが割れてる。パイナップルは腐って蝿がたかってる。タイツは伝線している。僕のラジオが感染してる。平和ボケした面に口紅を突き刺す。冷蔵庫が中身を撒き散らしながら僕の頭を齧る。温いビール、ケツ穴、リリカルな犯罪性。僕のラジオ。錆びたハサミで前髪、浴室、二の腕のホクロの少し下に化膿した切り傷、止まらない鼻血、同じところでループするレコード、ドアーズの、終わりが来ない終わり、夜も君も来ない、今日も来ない、粉、ケシ、吸う、爪を洗った。
 「幸せって痛いなって、ここにいたいなって、いつまでも痛いなって」

 目蓋が赤く、君の血管は脆く、古びた教会にはもう誰も来なくて、僕は、僕は嘘を吐いて泣き出した。それも嘘泣きだった。
 哀しいフリをした。あの子の膝が網膜にこびりついて脳から離れないんだから。
 黄色い蝶とモグラの死体を踏み潰した。濡れた雑巾を叩くような音。ミツオとルリの。重い目蓋をこする度に膿のような涙が出た。海に行きたかった。他に遊びも無かった。
 こんなときに限って余計なことを覚えるんだって、マリちゃんが言ってただろ。
 昔見た映画みたいな道を歩いた。木々の間を歩く。
 猿か鳥かの声にワッて怯えたりしてさ。僕の方が臆病だったなぁ。丘にはどこまでも青葉が、小さな紫の花が。

 瞳孔が開きっぱなしだから、君の写真捨てたよ。呪われそうだもん。
 あれはポラロイド……残ったインクも飛んで、君の背伸びした口紅の色だけ残った。キスマークね。
 ライターで焼いたら臭かった。なんか、鼻について、かびた林檎みたいな、身体に悪そうな甘ったるさ。

 「嫌いなのは人込みじゃなくて自分じゃないの?」
 たまには犬みたいにするのも悪くないな。君がね。なんかあるだろ、あの、アナルに挿す尻尾の玩具。タツが持ってた奴。球技は得意じゃないから、僕じゃボールは遠くに投げられないけど。

 戦場で生まれた、話す言葉を持たないロボットとダンスがしたい、その胸に揺れる茨とカナビスを撫でていたい。指を切って血が出る、絵を描く、でも何も言わない。名前は野薔薇さ。

 「勝手に独りで悟んないでよ、そういうのが一番バカみたいよ」

 蔦が覆う石造りの丘、煉瓦。階段の下では酔いつぶれた連れが引っ掛けた女とゲーゲー、ゲロではないものを吐き出していて、踊り場で寝そべったら、彼らに見えないように口付けを、セックスよりもいやらしいような、雨の匂いの沸き立つようなキスを。
 僕に砂を噛ませた。
 気色が悪い。

 黒い空がいつも視界の上半分を支配してるから、あなたの鎖骨しか見えない。あなたの鎖骨はよく喋る。僕はいつもバカにされる。いつも頭の後ろ40度から、鎖骨と黒い空と俺がバカにしている。いるいるいるりるいる。
 「また今日をすりかえるんだろ?」

 足の付け根からミルクが零れる。嫌悪感。赤と青と白と黒と、それしか無いの?
 ダンテ、パペット、錠剤、ホールデン、ブランデー、ロレッタ、ドグマ95、サンクトペテルブルク、鉄道、トローチ、致死量のコーヒー、電源、シンドローム、シルバー、クロニック・ラン、菊、肋骨の痛み。

 はみ出した舌はルンペンの顔色よりも青ざめて、劇場の観覧席で涎を垂らす。華美な装飾に涙の粒をこぼす度に、これほど醜いものがあるかと自問自答した。
 青白い青年の顔がいつまでも僕を見下していた。疼痛。腫れ上がった親指に檸檬は痛い。熱病。劣情。
 ベルオリーズ、サナトリウム、トランキライザー、狭心症、バルドー、妊娠、黒糖、扇風機、フラスコ、シド、リスボン、監獄島、ハンプティダンプティ、ロリィタ、真空管、アリア。
 浴槽に紅のランブルフィッシュ、メダカの骨の標本、窓の外にはパブのネオンライト、男装したマリオンの刈り上げたうなじ、飲みかけのカールスバーグ、ニューオーダーの囁き、蠢く指、花火の音、臍の下の刺青、其処彼処字の滲んだ日記、粉に塗れた100ドル紙幣、真鍮の過敏。2005年。11月。

 インシュリン、メタモルフォーゼ、殻の記憶、中身のない石、海辺、灯台、午前二時、懐中電灯、テトラポットに血の跡、リドリー、絡手繰り、発炎筒、サーチライト、サーチライト。
 昔よく知っていた人の、知らない笑顔。知らない人の、よく知る笑顔。

 燃え盛る街、降りしきる雨、僕は口笛を吹きまくって歩いた。遠くでは銃声、ソーヌ川、硝煙が立ち上るポスター、スピーカーは第九を狂ったように吐き散らした。世紀末の空が見える。ヴィヴィアンの首輪、アラベスクの指輪、ジムノペディの吐く息、白いマフラー、灰皿色の雲、タランチュラの刺青。
 古びたジェットコースター、錆びの浮いた観覧車、真夜中の遊園地、排煙した遊園地、塗装が溶けて泣いてるマネキン、腕の折れた天使の像、ほとんどの馬が屠殺されたメリーゴーランド、その前で君はくるくる踊る、バレリーナ、水面下の独占されたバレリーナ。

 黒ずんだ服を選び、ハンチング帽のひさしを後ろに回し、陽だまりのロッキングチェアーで聞いた子守唄を思い出し、それを口ずさみながら海沿いの堤防を歩いた。
 少し、いい気分で。
 上着の内側に入れた、落書きがチクリと心臓を刺した。

 秘密にしたがるのは結構だけど、僕、実は興味ないんだなぁ。
 次に上がる花火、青だと思う?赤だと思う?って聞いたのと同じさ。
 「秘密」って言われても、「ああそう……赤だったね」って、だろ? だからさ、いいよ、そういうのは。
 そんなことよりすることしよっか?

 コールタール、金曜の夜に電話、僕はコールタール、薄いレモネード、君の涙ぐんだ鼻歌、誕生日、長いお別れ、アイリス、高架下、港には働く男、飛蚊症。
 言いそびれた言葉があった、ブックオフの階段の下に倒れていた男、裸のサルビア、11月の街角で犯したケチな罪、壊したバイク、カッター、君の待つ西、3区、吸殻と掃き溜めの匂い、落ちたライター。
 アカミミが泣いてる。五時のサイレン。背中のシミ。黒いテーブル。あまり進まないジムビーム。ペイブメントのCD。テレビはクッキーモンスター。赤い冷蔵庫。腹痛。アレックス、軽薄。座る場所を探して彷徨う、イヤホンの外れた中年の男。
 「悪い子だな」
 「大人をからかうなよ」

 ラベンダーは枯れたし、ピザは冷えたし、ビールの炭酸は抜けたし、レコードはずっと同じ場所で音飛びしてるし、窓の外は変わらない景色だし、煙草は心から灰になったし。
 ベンハムの独楽、オレンジピール、君の望む戯言、非常階段、喉から血、青い発光ダイオード、海月の水槽……僕は疲れた。秋の朝露が鮮やかに傷つけられた。本当に疲れた。美しさとやらに敗北した。

 雨の街角で彼女は、赤い、ヒールの折れた靴を肩に担いで裸足で歩いていた。その膝の裏は愛らしく、履いていたときより綺麗だと言った。
 信じられないほど口を曲げ、エナメルのバッグで叩かれた。
 本当のことを言うと必ず人を叩く女だった。

 何言っても負け犬なんだろう? 僕より君を騙すのが上手い、ただそれだけの奴さ。
 それがお望みと知ってはいたが、僕は些か、いつも、誠実すぎた。変わることもない。
 「犬は、好きだよ」

 変わらずにインストゥルメンタルは腰を振っている、変わらずに歯車は罪を叫んでいる、変わらずに臓器は涙を流している、変わらずにエンジンは煙を吐いている、変わらずに電波塔は恨みを嘶いている、変わらずに僕は歯軋りをしている。

 草むらに転がる骨の鍵で君の扉を開けるんだ、枯葉の浮いたシャンパン、人形ばかりの国、葬列、真紅の傘が揺れる、鐘の音、鳥で真っ黒の空、油膜のような色の風船、迷い子のように浮いていく、液体窒素が肝臓に流れ込む。寒気。

 空っぽのベッドに登り、僕は思う。天蓋から見える月に腰掛ける。
 笑うことも憎むことも愛すことも簡単なんだ、ただ許すことだけが難しい。
 ウェンディ、それに気付いているのはきっと君だけ。
 君を忘れたくないから、君を許しはしないよ。

 「君なんかが僕を助けられるとでも思っているのか!」
 アラクノフォビア、君が美しいなら、何故今夜、君は独りでいるの。
 濡れた犬のような酷い匂いの通りを抜けて、君のアパートの郵便受けに頼まれていたカセットを入れた。
 その帰り、ボリス・ヴィアンの唄がやけに頭の中で煩かった。
 「生まれてきてごめんなさいと言え! さあ早く!」

 肺に蓮の咲いたマリの手を引いて、線路の上を走った。トンネルを抜ける頃、二人は旅の終わりを予感していた。夢を待っていた。

 放課後のピアノ。
 握り締めた缶コーヒー。
 刺繍、土竜の死体。
 カンバスの無いアトリエ。
 手慰みのギター、マーマレード。

 味のしないパンが好きだった。
 味のしないソフト麺が好きだった。
 味のしないスープが好きだった。
 味のしないあの娘が好きだった。
 早く食べないと先生に殺されるから。
 遊ばないなら帰って。

 「人を傷つけるときぐらい泣くの辞めろや。卑怯な奴のすることだろが」

 「周りが退屈なんじゃなくてさー」
 「君が人から退屈を引き出すのが」
 「天才的に上手いだけだよね」
 「まぁ、実際どこを切り取っても退屈な人間も多いけどさ」

 隣の部屋では昨日も空騒ぎ、僕はソレを聞きながら、水色の悪夢を眺め、君のうなじの産毛を思い出し、おでこにキスした思い出を持て余した。
 いつ君の首に噛み付こう、いつ君の忘れ方を知るだろう、いつ君の愛した歌を殺すだろう。
 処女性は冷酷に解体されていく。君のはしゃぐ声に僕は雨音と、さよならの余韻を感じる。パーティは終わる。酒は切れる。カーテンは閉まる。


 「半身を引き裂かれる痛みというのは、泣き喚くよりもむしろ、呆然と……幽鬼のように落ち窪み、青空に敗北感を抱く気持ち」
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