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2016

ほかならぬ人へ / ヤング≒アダルト / クトゥルフの弔詞

CATEGORYカルチャー
 ほかならぬ人へ
 白石一文の小説。以前「この世の全部を敵に回して」を読んで、いたく気に入ったので直木賞のこちらも。
 個人的に、なんらかの受賞作であることと内容の質には何の関連性も見出せない。
 というか、白石一文の小説はどれも大体テーマやメッセージが一緒なので、これが受賞するならどの著作が受賞してもいいのでは、なんて思う。

 簡潔にして他に表現するでもなく、恋愛小説だ。
 プロットだけなら典型的、いやむしろ古典的ですらある。
 恋の要素は薄く、男女間の愛について深い洞察が持ち込まれてるから、愛小説と言ってもいいかもしれない。
 「ほかならぬ人へ」「かけがいのない人へ」の二部構成で、話は独立しており、第一部が男、第二部が女。
 この構成は男女間の恋愛における差異を表したものではなく、単にシチュエーションをすり替えただけのように感じた。

 第一部は、優秀で格式高い家柄に生まれた末っ子のボンクラが主人公。
 家柄に反発するように、惚れたキャバ嬢と強引に結婚するが、最初はラブラブだったが2年で派手に破局。
 女々しくいじけながら本当に大切な存在とは何か、を突き詰めていく。

 第二部は、やっぱり資産家の家に生まれた、ややブスの秀才OLが主人公。
 社内恋愛で出世街道に乗っているエリートと婚約を控える中、相反するように以前の上司と逢引を重ねる。
 浮気性の父と甲斐甲斐しい母を見て育ち、「結婚はただのキャリア」と吐き捨て、元上司とワイルドなセックスに耽っていく。

 ややネタバレになるが、どちらも僅かの間本当に大切なものを手に入れるが、最終的にそれを失う。
 それは仏教における八苦の愛別離苦を通じて、どの著作でも通じる「かなしみ」を描きたかったからだろう。
 第一部の主人公がヤケクソ気味に、
 「ベストの相手が見つかったときは、この人に間違いないっていう明らかな証拠があるんだ」
 「みんな徹底的に探してないだけだよ」
 と言うが、まぁそれを文庫一冊分で書いてるわけだな。
 そして見つけたからといって上手くいくわけではない、というか、それとこれとは話が別、という。

 恋愛小説でもなんでも読むけれど、これだけ小ざっぱりした話は読んでて気楽だった。小ざっぱりしすぎてて、やっぱり受賞作って感じはしなかったけど。
 この世の全部を敵に回して、でも思ったが、「これを書いた人は、めちゃんこ頭が良くて狂気的に優しい人なんだなぁ」という感想がやはり一番強い。

 大崎善生なんかも2~3冊読んだことがあるけど、やっぱり俺は恋愛が主題のものはそんなにピンとこないようだ。
 恋愛小説の「現代的世界観+普通に恋愛できる経済的環境」がすでに俺にはファンタジー、もっと言えば滑稽に思える。
 自分にとって、ではなく、「恋愛」はもうこの国では形式だけのもので、SNSやメディアや雑誌がそれを、セール品として扱ってるようにしか感じないからだ。
 勿論それを売る側と買う側が、ことごとく頭空っぽのマネキンども、ということに端を発するのだけど。
 これだけ恋愛が陳腐化すると、破天荒だか極貧だか、それこそフィクション染みた障害がないと逆にリアリティないんじゃないか、と思う。
 そうでもないとこの時代、本当の愛や本当の相手を見つけるなんて、およそ実現できないというか。
 あまりにバカばっかだから、「俺はバカじゃない!!!」って大声で叫ぶ必要、あるんじゃないですかね。
 同じくバカじゃない人に呼びかけるために、呼び寄せるためにさ。
 まったく、現実と虚構の逆転現象だな。
 本は普通に面白かった。作者の人柄だろう、登場人物がどれも人間臭く愛おしい。失敗や馬鹿馬鹿しさも含めて。

 ヤング≒アダルト
 ティーンエイジ・ファンクラブの曲がかかる、と聞いて見た映画。
 田舎を飛び出して、都会で小説家暮らしを続ける女主人公の元に一通の招待状が届く。
 元カレからの赤ん坊の誕生パーティのお誘いに、いぶかしみつつも里帰りする、というあらすじ。
 聞いたとおり、田舎に帰る道中のオープニングで主人公がティーンエイジ・ファンクラブの「ザ・コンセプト」を流す。
 長い道のりでそれしか聞かないので、リピートしてひたすら聞きまくる。そういう聞き方、好きだぞ。
 ちなみにこの曲のサビの歌詞は、「君を傷つけるつもりはなかったんだ」の繰り返し。

 タイトルは主人公が執筆している、十代後半~二十代半ば向けの小説のジャンルのこと。
 でもあるし、まぁ主人公たち自身、成長しきれない大人初心者ぐらいのことも指してるんだろう。主人公は結構な歳だが。
 ちなみに主人公の書いてるシリーズは以前はヒットしていたが、その人気は次第に低迷。
 作中では半ば打ち切り気味(だったかな)に最終話を執筆している。
 田舎に根付いて暮らす元カレ夫婦の幸せオーラに打ちひしがれながら、「私とよりを戻したいのね」と勘違いした主人公の猛烈アタックが笑える。
 その段階で、元同級生で当時見下していたオタクと手を組む。
 このオタクがまた濃ゆい、ピクシーズのTシャツを着てたのには笑った。

 田舎で立派に、家庭や近所付き合いを築いている元カレ。
 都会で必死にもがきながら、大人になりきれない主人公。
 田舎に残って、鼻つまみ者として土竜のように暮らすオタク。
 その構図はきっと遥か昔からあるもので、業が深いというかなんというか。
 どれが正しいかなんて僕には分からないよ、どれでもいいと思う。僕に出来ないことをやってのける人はみんな凄いと思う。
 大事なのはパッと見て賑やかだとか、優雅だとか、そんなことじゃないんだから。

 僕もまぁ今東京という括りにいるわけだが、ハッキリ言ってこの街すら田舎モノだらけだ。
 てんで頭が悪い愚図ばかり、それこそ田舎で何が出来るでもなく逃げ出してきたような奴ばかりって風に見える。
 東京育ちの奴にもそう思う、笑
 都会で育ったからって都会人、というわけではないね。やっぱり出るんだよ、育ちとか気品って奴はどうしようもなく。
 勿論僕と彼らとになんら違いはないけど、僕が言いたいのは「田舎で生きていけるなら田舎に行けば?(帰れば?)」ってことです。
 作中でもなんとなく描かれるけど、人間落ち着くところに落ち着くわけで、どっちか凄いか惨めかって話ではない。
 無理して肌に合わないところに居座る必要、全然ない。
 都会が落ち着く人、田舎が落ち着く人、どっちもいる。それはもう超自然なこと。

 それにどうせ、僕は田舎だろうが都会だろうが、下手したら人間界、いやいや現世ですら肌に合わない可能性がある……。
 にも関わらず生きてこれてるのはラッキー、みんないい奴らだな! それに尽きる。

 映画はまぁまぁ面白かった。
 凄く胸打たれたりはしないが、「ああ、あるよね、こういうの。大人になると」みたいな悲哀がじんわり。
 晩酌しながらしっぽり見るのにいいか。ハイ・フィデリティとか、ああいう感じだ。
 中学ジャージを着る感覚で、キティのTシャツを着てるシャーリーズ・セロンが見たい、というマニアは早く見たらいいと思う。

 クトゥルフの弔詞
 これはアドベンチャーゲーム、フリーの。
 最近多いんだよクトゥルフ題材のゴミクソオナニーフリーゲーム。
 同人くっさいのもそうだし、なんかとにかくキモい。「くぅ~w疲れましたw」のコピペみたいな感じがある。
 おかげでクトゥルフかじってみたい僕が触っても、すぐに心が折れる。じゃあラブクラフトの原本読んだらって話だが……。

 ああ、クトゥルフ神話っていうのは、なんとかラブクラフトっていうアメリカの小説家が大体100年前に発表した近代神話。
 ギリシャ神話のゼウスやオリュンポスみたいに、海神クトゥルフを中心とした摩訶不思議な怪物や神が入り乱れる。ややSF要素が強い。

 でもこれは入門編にうってつけ、と聞いたので読んでみた。
 なるほど、確かに臭くない。文章力も語彙力もあるし、サウンドノベルの演出も効果的に盛り込んだ上質なホラー小説だ。
 ゲーム要素は限りなく薄く、本当にただの読み物だが、元々そのつもりだったのでそれは構わない。
 そもそも俺は周回が面倒だから選択肢が多いのは好きじゃない……。
 なんとなく原典のおどろおどろしさを意識しているんじゃないかと思う、まとわりつくような、夢か現実か曖昧なプロットが魅力的だった。

 おまけ要素は元ネタがよく分からなかったが、原作の雰囲気をぶち壊して笑えた。
 クトゥルフに興味はなくても、日常に忍び込んでくる怪異、的なものとして認識しておけば楽しめると思う。
 ノベルゲー良作多いのは分かってるんだよ、ただどうしても取り掛かる腰が重くて……まぁそれはいいや。
 おーもーしーろーかーったっ!
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