出来ないの暮らし

 最近MCにも力を入れるようにしている。
 絡まったり空回ったりしくじったり罵ったりネセサリー君はプライマリー、まぁ色々試している。

 アツいMC、いい話、炊きつけ、宣伝、お笑い、個人的にはどんなMCも楽しく聞いてる。
 それが別に演技でも貼り付けたものでも心の底からでも、それはどうでもいいかな。
 ちなみに個人的に「しない」と決めてるのは、次のライブの宣伝です。
 商売で考えたら馬鹿げてるんだろうけど、綺麗事を言えば「僕とあなたがここにいるのはあとにもさきにも今だけだから、未来の話は出来ない」から。
 人が言ってるのは別にいいですよ。今を大切にしたまま未来の話できるだろうから。イケてる、それって真っ直ぐだ!
 僕は出来ない。
 だって僕の過去も未来も全部真っ暗。赦されるなんて思ってないし、事実、絶対に赦されることはない。
 いつか僕は全員に殺されるんだと思ってる。それが当然だと思ってる。

 自分がしてても、人のを聞いてても、「ああ、駄目だ……」って思うのは、休符がいまいちなとき。
 MCって休符凄く大事、なんなら喋ってる内容よりも。人柄とか言葉のニュアンスとか、言葉よりもむしろ休符に全部出ちゃう。
 あえて英語で例を出すけど、「I love you」と「I...I love you」だったら、もう全然気持ちの量とか切羽詰ってる感じとか違うわけで。
 結構僕が駄目なとき、多いんだけど、休符で露呈するし自覚するんだ。
 ああ、僕今日駄目な方だな……って。
 まぁ良い方と駄目な方があったとして、僕は常に駄目な方、駄目な方なんですけど。うふ。

 話は変わるけど(変わらない)、最近、何年か前から最近、生活についてよく考える。
 出来ることなら僕は、ステージに立っているとき、目の前の人間一人一人に
 「あなたの生活はどうですか?」
 「あなたの暮らしはなんですか?」って聞いて回りたいくらいに感じている。
 皮肉とか詰め寄るとかじゃなくて、純粋に知りたいって思う。
 それに応じてメッセェジや曲を変える、なんてことはないよ。
 知った上で僕が曲中叫んでるこの言葉、休符は変えられるんじゃないかって、すがりたい気持ちになる。
 まぁ無理というか、それはきっと不正解なやつなんだけど、時折痛感するな。
 この人が払ったチケット代、この人がどういうことをして稼いで、そのときこの人はどんな顔をしているんだろうって。

 あー、この場にいてくれるからには報いようとか、値段以上のものを見せようって気持ちはいつもあるよ。
 でもそれとこれとは別の話。そこまで殊勝な人間じゃないんでね。あ、鳥じゃないんでね。
 うーん、やっぱりこの感覚をまとめるのは難しいな……。
 補足すると、汗水垂らして稼いだ2000円でも、株で楽勝に儲かった2000円でも、僕は激烈に頑張る。
 どっちも、演者としての僕は頑張る価値があると思う。

 人が生活を作るのか、生活が人を作るのか、正直そんなことさえ僕には分からない。
 だって、僕には生活は出来ないから。
 どんなにトランキライザーを突っ込んでも、ろくな役に立たない出来損ないだし。
 ただ指示を待つ、
 それもどんな顔をすればいいかも分からなくて、
 怒られたくないし、
 醜い顔が無表情だと殊更醜くなってしまうから、
 腑抜けた猿のように媚びた、
 締まりの無い笑顔を浮かべて。
 そういう人に生活は出来ない。
 そういう僕に生活は出来ない。
 だから生活が知りたいのかもしれない。

 ああ、これは別に自虐ではなくて……生活出来る人にもだけど、特に生活が出来ない人に対して僕は、
 「大丈夫だよ、僕たちは絶対大丈夫だよ、理屈も根拠も全然ないけど、僕たち大丈夫だよ、本当だよ、絶対なんだ……」
 って、そう言いたいの。

 ライブハウスが生活を忘れさせてくれる場所だったら、どんなに素敵かなって僕は思う。
 素敵な演者はみな、生活を忘れさせてくれる。
 生活は、生きるためにする行為なのに、僕たちを殺しもする。
 勿論世の中に生活があるからライブがあって、ライブハウスがあるんだけど。
 でもそれよりももっと、根源的なものが根っこにはあって、、、
 僕は君が生活に殺される姿なんか見たくない!!
 君に相応しい暮らしを与えてあげたい!!
 傲慢だね。

 柔らかくて暖かくて優しくて愛おしい、
 そしてちょっぴりかっこ悪くてやるせなくて、
 でも帰り道少し花の匂いがして鼻歌なんか歌いたくなるような、
 そういう穏やかな暮らしを。

 僕に生活は出来ない、僕に生活は出来ない、僕に生活は出来そうもない、
 出来ない、出来ない、出来ない、出来ない……。
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