06
2017

共感は危険だ

CATEGORYたわ言
 コミュニケーションが侵略の手段になって久しい。
 少なくともこの国でのそれは、生活という戦争を生き残るための武器だ。
 正直アフリカのとある国の人間が貧困や差別で戦闘しているのと、別に何も変わらない。
 そのコミュニケーションの中で、一番凶悪な破壊力を持つものが「共感」だ。
 共感はあらゆるものを凌駕する。あらゆるものを支配する。
 人は、共感してしまったものに牙を向くことは出来ない。
 共感は危険だ。

 日頃メチャクチャのクソミソに怒り狂って偉そうに頭ごなしに否定してるけど、
 別に間違った意見も行動も世の中にはありはしない。そんなことは分かってる。
 あるのは気に入らないタイミングか、気に入らない言い方があるだけだ。
 タイミングって奴は本当に厄介で、馬鹿な僕なんかは数日、下手したら数年経っていきなり分かるんだ。
 「あ、あのときあの娘、笑ってたんじゃなくて泣いてたのか。
 分かるわけねえだろ、なんで笑いやがる」
 「あ、あのときあの人、怒ってたんじゃなくて悲しかったのか……」
 とかね。そいつのことを考えていたわけでもないのに、急にふと湧き上がりやがる。
 いっそ死ぬまで分からなければよかった。
 僕はその都度とんでもなく馬鹿な行動をしてたってことになるんだぞ。そしてその通りなんだ。

 僕は共感依存症だ。乞食と言ってもいい、共感乞食。
 と言っても共感されるのは好きじゃない。共感するのが好きなんだ。
 好きというか、半ば強制的に勝手に共感する。
 こゆとき分かるーって言うけど、全然分かってない。そりゃそいつの心理的な動きは理解できるから別に嘘は言ってないけど。
 あるのは他人を通して自分が分かるだけ。寂しい世界。
 それでも目に映る全てはいつも僕に入ってきて、話しかけてきて、そのときは困ってしまう。
 頭の中でうじゃうじゃと五月蝿いこの言語が僕だとしたら、きっと僕は発狂してしまうな。あまりの醜さに。
 さっきの話、メチャクチャのクソミソに怒り狂って偉そうに頭ごなしに否定してる人が多いよね。
 彼らが僕の中に入ってきてそう言うんだ。僕はそういうクソみたいな人間にも同調してしまう。クソだから。
 そして覚えてしまう。余計なことを。

 そして自分がそうだから、共感は暴力だと分かる。

 共感って、優しいからとか、想像力が豊かとか、そんな生半可な話じゃない。
 共感してしまうことは、端的に言うと自分の分身を増やすということだ。
 その人が傷つけば同じ感性の自分も傷つく。傷が伝搬する。
 僕は僕の目に入るものの中で傷つく人がいれば、僕も傷つく。
 そして、僕はその人に何かをしてあげることが出来ない。
 何故なら傷ついているのは僕で、僕はそれに抗う術を持たないが故に傷ついているのだから。
 僕だって痛いんだ。
 ハハハ。

 共感はあまりに無防備だ、いつだって。
 そして共感した存在が、共感の範疇から抜け出すと「裏切られた」「拒絶された」と感じる。
 これは思い上がりだ。しかし、半身を失った痛みをどう誤魔化せばいい?
 共感したはずの大切な存在を攻撃してしまうんだ。
 あんなに大切にしていた、傷つけたくないと思っていたものを自ら傷つけようと、損なおうとする。
 亡き者にしようかとでもいうくらい、時には過激に。
 もしかしたらそれは、その分だけ損なってしまったのかもしれない、自らを。
 どうすればいいんだろう?
 勿論共感を否定してしまったらおしまいだ。座標が無くなる。宇宙空間をぼんやり漂ってしまう。
 傷ついたからって誰かを攻撃してはいけない、と思うか?
 その通りだ、だけどその理屈は共感に乏しい人間の判断だ。僕には共感しかねるな。
 そんな奴、悪い意味で超人だよ。
 本当は誰も悪くないんだ。

 一度共感出来なくなったものに、再び共感出来ることがあるのだろうか?
 あるような気がするが、少なくとも僕には極めて難しい。
 千切れた手足を元通りくっつけろとか、そういうレベルの要求だからだ。

 難問すぎて珍しくオチなし。
 いや、共感は暴力だ。

 とすれば、傷つけあうことでしか理解できないのかもしれない。
 僕はそれが哀しい。
 けして僕に共感しないで欲しい。
 今までも、これからも。
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