花は散るもの

 僕は器が小さい。
 とっても小さい。
 自分自身一つまともに収まらないくらい小さい。
 他人を受け入れる隙間なんか、紙一枚分もない。職人の捌いたふぐ刺し、生ハム、大根、そういうのも入らない。
 むしろ器からはみ出した僕の、僕が把握しきれない部分が好き放題やって周りに迷惑をかけまくる。

 僕は怒りっぽい。
 昔から癇癪持ち。
 観念して言えばヒステリックだ。
 一瞬で頭に血が上って、あることないこと喚き散らして、ときには手が出る。
 そして冷や水を浴びたように、愕然と我に返って「あんなことをするつもりじゃなかった」と後悔する。
 自分のしでかしたことに愕然とする。

 ずっと、本当にずっとこの癇癪を押しとどめようと我慢して、矯正してきたんだ。
 でもその度にどんどん形はおかしくなって、もう今じゃ、かつてならまだ怒り狂うだけで済んだことが、もっと歪になった。
 腹の底から苛立ってそれがもう可笑しくて、それでいてなんだか平和なような、そういう錯乱した状態がずっと続いてる。
 でも楽しいことはキチンと楽しいし、頭のどこかで退屈だな、飽き飽きだなって思っても、それに安堵したりする。
 もう自分が何をどう考え、どう感じているのか、まるで判別がつかない。

 でもこれはきっと誰でもそう。
 怒り方だけはどうも僕はキレすぎ、ということは明瞭極まりないけど。
 この頭蓋骨っていう小さな箱、細胞っていう小さな箱に、自我なんて膨大な靄は収まりきらないらしい。
 まぁ、だって自我なんて無いもんね。

 この個体はこういう状況のとき、こういう反応と行動をする傾向にある。
 結局のところそれの積み重ねが、なんとなく「そいつらしさ」、ひいてはその人格っていう見なし方。ただそれだけ。
 僕は気まぐれで、飽きっぽくて、本当に空っぽなんだと思う。
 昨日まで当たり前にやってたことがパッタリ、興味がなくなっちゃう。
 酷い話だけど、他人のことは個体差や瞬間的なバグによって色んな反応を示す、ランダマイズが効いた蛋白質の玩具、その程度にしか思ってない。
 というか、生物なんてそれ以外に捉えようが無い。
 だからその人個人より、その人がどういう考え方をするとか、どういうものを作るとか、その方が僕には興味深いんだな。
 もしかしてこんな風にばかり考えてるから器が小さいのかな。
 だとしたらこれが僕の乱数なんだ。仕方ないわ。

 僕は僕の話ばっかりしてる。いつもそう。
 一応、自分に関係なさそうなことについて語ることも出来るよ。
 でも、それって何になるんだろう?
 そいでもって、僕の中心にある音楽においてすら、本当に余計で関係のない物事が鬱陶しくまとわりついてくるんだ。
 こうしたとき本当にこれは余計、関係ないって、割り切っていいのかなって、一応考えたりする。
 でもどう考えてもやっぱり余計なんだよ。
 身も蓋もないけど、音楽やるのに飯食う必要なんか無いと思ってる。
 でも食わないと身体は維持できない。演奏に使うインターフェースを喪失する。
 理屈は分かるんだけど、これすら余計だな、って感じちゃう。
 じゃあ何で楽器弾くんだよって自分でも思うけど……なんかよく分かんないな。こういうのが器からはみ出てる部分かも。

 本当は受け入れたくて仕方がないのに、とっても吐き気がして、頭痛がして、血の気が引いて、好かれたり好いたりするのが怖いんだ。
 怖くて痛くて虚しくて切なくて欲しくて、壊れそうって感じるけど壊れることはなくて、なんならそれが一番望むことなのに。
 何も壊したくはない。何も壊したくはない。何も壊したくはない。
 でも、花は散るものなんだ。
 種を植え、水をやり、芽が出て、茎が伸びて、花が咲いて、だから種が出来て、また芽が出て。
 花が散るから種が出てきて最終的にまた花は咲くんだけど、
 でも花はまた散るよ。何度も散るよ。何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
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