グッピーの話

 私はかつて小学校の頃、教室の水槽で泳ぐグッピーのことを考えていました。
 綺麗な尾っぽ、透き通る背骨、何を考えているか分からない目玉。
 水槽の硝子を叩くとパッと、花火が散るように飛び回るのが好きでした。
 あれは魚にはよくないのですよね。

 特に飼育係が餌をあげ忘れる、ということも無く只、毎回グッピーは早死にしました。
 なのに何故、先生はああも何度も買い直したものか。私には到底理解できませんでした。
 水も何も悪くなかったと思います、水道水だけど、ちゃんと一日置いたものと交換していたもの。
 グラウンドには、幾つもグッピーの墓ができました。
 私は泳いでいるグッピーは綺麗だけど、死んだグッピーは酷く汚らしいと感じました。
 きっと、このことは誰にも言っていけない、と薄々感じていたので、黙っていました。
 だって女の子が泣くんですよ。可哀想、可哀想って。死んだ魚の何が可哀想なのか、ちっとも分かりませんでした。
 鮭も鯖もシシャモも、可哀想じゃないのでしょうか。
 僕にとっては、ハラワタの卵ごとむしゃぶられるシシャモの方が、可哀想ではない中では、強いて言えば比較的可哀想に感じました。
 目は、いよいよ何を考えているかも分からなかったです。

 グッピーの、グラデェションのかかった鱗は、油膜のようで嫌いでした。
 油膜も嫌いでした。嘘んこの虹だと思っていたからです。
 今はその、嘘んこの方が良かったと思うようになりました。
 グッピーの死体は、きっともう綺麗なんでしょうね。
 私は大人になりました。
 あのときと違って。
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