24
2017

ヴァーチャル

CATEGORYたわ言
 ネット上のバズや炎上、喧嘩や恋愛なんかを見てると、いつも思うことがある。
 みんなネット上の人格がリアルのそいつ自身だと勘違いできる、とんだオメデテー脳みその持ち主なんだなって。
 発言してるのはそいつ自身なんだから、それがメディアだろうと手紙だろうとSNSだろうと同じと思うかもしれないが、残念ながら違う。
 そんなものを鵜呑みにできるのは、ただの世間知らずだと思う。それかドラマか何かの見すぎだ。
 発信者にも受け手にも色んなバイアスがかかるし、媒体の違いはそのまま印象の違いにも繋がる。
 たかがワンセンテンス発するだけで、結局のところ発信者の意図とは何重にも歪んだ言葉が届くわけ。
 誰もが正確な言葉を選択できるわけではないし、ましてや前後の文脈は概して省略されるし。
 もはや言葉に意思疎通の能力を期待するほうがバカらしい。

 例えば不倫の報道とか、死ぬ程どうでもいいだろ? 少なくとも俺はそう。十数年もテレビの無い生活をしていれば当たり前だ。
 よくそんな、現実に会うわけでもない人間をみんな、好きになったり嫌いになったり、好き放題評価したり出来るよな。
 暇なんだろうな。
 現実で云ったことすら、果たしてそいつの本意なのかなんて分からないのに、メディアやネットを介しての情報なんて信じようがねえだろ。
 俺はそういったもので人を好きになったり嫌いになったりできない。
 「こいつ語彙力無いなぁ」とか、「着目するとこセンスないなぁ」とか、
 「当たり前のことを自分なりの言葉にしようとして滑ってるなぁ」とか、
 「服ダサいなぁ」とか、「動物好きな私可愛いアピールかぁ」とか、
 これではそいつが頭悪い以上のことは分からない。
 つまり、そいつが俺にとって良い奴か悪い奴か、そういう証拠にはならない。
 大体、いちいちネット上の行動で他人のこと好きになったり嫌いになったり出来んのがすげーよ。余裕なさすぎだろ。
 一万のメール、一億の文字なんかより、終電に飛び乗って「遊びに行こう!」の一言の方が、ちょちょ億倍も重い。
 命に関わることってのは、そういうことよ。
 だから嫌いなんだよな、メール。業務連絡以外の何の役にも立たない。

 現実至上主義ってわけじゃないけど、結局顔を合わせて話するのが、一番理解が早い。
 表情、声のトーン、仕草、目のやりどころ、言葉尻の語気、その他色々、得られる情報量が多いから。
 それ以外の時間でもんもんと一人で考えたり、変に相手のSNSをストーキングしてみたり、そんなことしたって絶対間違った方に解釈の歪みが悪化していくだけだよ。
 人間関係はどこまでいっても誤解だけど、自分勝手な思い込みが入るといよいよ手に負えなくなる。
 それこそmixiの時代から、どんどん皆付き合い下手になっていってるな、と感じる。相互監視社会っていうかさ。
 ネットはただの道具で、道具に振り回されるのはバカらしいってこと。目的と手段が逆転してる。
 やっぱり、それもこれも、暇だからだろうな。

 このクソみたいなブログをマメに読んでると俺のことを好きになるだろうけど、それにしたって勘違いも甚だしいよ。
 俺が考えたことは俺自身の人格とは違うし、こうして文章に起こしても多分俺の言いたいことは伝わってない。
 だってお前は俺じゃないし。俺ですら俺のことはよく分からないし。なんならお前の方が知ってるんじゃないか? ん?
 そういうのはね、求めてないわけ。だって、云って聞くほどお前は素直じゃないだろ?
 真面目でもないし、ウブでもないし、利口でもないし、想像力もないし、ホントもうなんなんだよ

 創作の場合はそういった余計な手間が省けるからいいよな。
 歌詞にしたって自分なりの言い回し、本当に言いたいことを日本語のルールを壊すレベルで追求すれば大した問題は起きない。
 要するに受け手がバカのくせに理解した気になるから、諍いってのは起きるんだよ。
 他人なんて一生理解できっこねーよ。人間はバカなんだから。
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