「正気か?」

 人間が一日で正気の時間って、実は凄く短いと思う。一日の中で。
 一日24時間、活動時間が14時間~18時間だとして、せいぜい30分~2時間ぐらいじゃないか、と思う。体感的に。
 いや、単に俺がまともじゃないだけかもしれないが。
 だったら、まともじゃない人間の寝言だと思ってくれ。

 2017/04/07の「ホルモン」でも書いたが、それは加齢と共に増えていくものかもしれない。
 要は刺激にかき乱されたり、何かに気を取られたりすると、正気ってのは容易く掻き消える、それほど儚いものに感じる。
 これはもう、意志の力とか、集中力とか、そういったものでは覆せない気がする。

 俺は夜型人間で、それは根っから夜が好きだからだけど、夜の時間ほど心はかき乱される。
 人が少なくて、静かで、星と月は太陽より鬱陶しくなくて、うだるような感じがなくて、影は明かりに動揺して、
 そういうところが落ち着くけど、そういうところが此の世の出来合いの”まとも”というものを分からなくさせる。
 君が夜の何に狂うかは分からないが、昼にだって狂おしいものは転がってるが、やはり夜が君を惑わしてるんだ。
 どれだけ夜型人間と詐称しても、夜型人間は軒並み頭が狂ってると思う。
 人間は早朝から昼間に生活してたほうが、長期的に見れば落ち着いてる。誤魔化しても仕方の無い事実だ。
 でも君が朝より夜が好きというなら、気が合うね、と言いたい。

 そもそも正気ってなんだろう。本来のそいつ自身? ”本来”って、どこからどこまでのことなんだ?
 とりあえず「個人が最もパフォーマンスを発揮できる時間帯」として語っている。
 コンディションや練習量、向いてる時間帯で持ち時間は変わってくると思う。
 ■コンディション:
 ・体調はいいに越した事は無い
 ・空腹、多少の寝不足など危機的状況の方が短期的には能力が高い
 ・ある程度のルーティンを組むことで、慣れない環境化や不調でも一定の効果を発揮できる
 (ただしあまり複雑なルーティンを組むと、こなせないとき過度のストレスがかかる、というリスクがある)
 ■練習量:
 ・多いに越した事は無い
 ・きりは無いものの、例外に対する練習も肝要
 ・「練習したことの復習」「練習していないことへの練習」「練習しなくても出来る様になる訓練」の三要素がある
 ・結局のところ、練習は「練習していないことへの対応力」が目的でするもの
 ■向いてる時間帯:
 ・完全に体質、あるいは性格によるところ
 ・もはやアティチュードの世界だから、単なる向き不向き

 狂気はごくありきたりで誰もが持っているものだと思う。むしろ、その中で生きているとすら。
 水面下で、すぐ隣で、首筋で、体の芯で、色んなところで渦巻いてる。
 純度の問題なのだと思う。
 より研ぎ澄まして狂ってしまうことは、むしろ正気の只中に、波紋の一つも無くたたずむことだ。
 正気とは平坦で差し支えの無い砂利道ではなく、嵐のあとの凪、そういう静けさを持つ。

 とりあえず、言うまでもなくライブ中の俺だけが正気で、あとはまともじゃない。
 もうどうしようもない。生死の境でしか人間は我に返ることが出来ないんだよ、きっと。
 混乱してるとライブは、やっぱりいいものにはならないし。
 極めて正気で、心底から熱狂している。

 君は果たして正気だろうか。
 君には俺が正気に見えてるだろうか。
 俺たちはあまりに鬱陶しい、狂った世界の中、残り僅かの正気をすり減らしながら生きている。
 正気の君に会いたい。正気の俺を見て欲しい。
 殺しあうことも、憎みあうことも、奪い合うこともない、淡い水槽の底で。
 それ以外のことは忘れよう。覚えていても、そのことでいがみ合うのは辞めよう。
 狂気は誰のせいでもない。
 だって記憶を失ったら、俺たちはまた愛し合えるはずだよ。
 そのことだけは、どうか忘れないでいてください。
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