ひとごろし



 うだるような暑さ、例年よりも湿気はより濃く、校内で一番大きな桜の下でオオムラがパクってきたセブンスターを吸いながら、俺はテニスコートで揺れるポニーテールを見ていた。
 来年踏み切りで、自らの意志により挽き肉に変貌する子だった。ボールがガットに当たる音と、スタンスミスのソールが擦れる音が、かすかに聞こえる。
 夏のグラウンドは、小学校高学年で習わされたマーチングの夏季練習を思い出す。
 直射日光に金管楽器を晒すなんて馬鹿げてる。今ならそう思うだけだが、俺は当時あの子のうなじの汗や、キャミソールの肩紐の日焼けの跡や、白いソックスやふくらはぎの曲線を思い出して、ひまわりの絵を描きたい、朝顔の水彩を塗りたい、そういう気持ちばかり湧き立っていた。
 山の小さな神社の傍でジサツがあったそうだから、見に行ってみようとヨシタカが言った。首吊りだそうだ。
 やっぱ苦しいのかな、と俺は呟いた。隣のクラスの、リストカットしている女子、カワモトを思い出していた。何気なく友達と談笑していても、急にふと空と雲を見上げてそのまま動かなくなる、カワモトはとても苦しそうだった。
 それが実は気持ちいいらしいよ、おまけに一瞬で死ぬって、とヨシタカが興奮気味に言った。すかさずタクロウがハイライトをもみ消してヨシタカを小突いた。フカすなよ! 煙草はタールが濃ければ偉いと思ってる類のヤツだった。
 ヨシタカは睫毛が長く、髪も目も肌も色素が薄く、外人のような顔立ちで声変わりもまだで背も小さかった。男の俺から見ても可愛いと思えるほどで、タクロウからすれば嗜虐心をそそる相手だった。
 別にそれは悪意でもいじめでもない。ただ、なんとなくの生物的な嗅覚が、ヨシタカより自分の方が強い、不確かで実際的な優越感がタクロウの態度にあった。
 途中キャッチボールしていたケンスケとミヤウチも誘って、喫茶店でカキ氷を食べた後、山のふもとについた頃には日が暮れる寸前だった。
 カキ氷を食べているとき、ミヤウチがカキ氷は全部同じ味らしいぜ、テレビで言ってたけど、と言った。香りと色が違うだけで、脳でその味に感じるらしい、と。メロン味にメロン果汁が入ってないことぐらい知っている俺は、そんなことはどうでもいいと思った。
 見た目や容れ物が違うだけで中身が同一のものは、何もシロップだけじゃなくて、例えば教師やニュースキャスターのほざく事もそうだろう、と。
 退屈だと感じることは、いつもそうだった。

 山のふもとは天守を模した資料館と神社に続く花見通りの公園、ちょっとした動物園、スポーツセンターがあって、この街にしては珍しく夜でも明かりのついた街灯が多い。
 しかし手入れは行き届いておらず、どの街灯も蜘蛛の巣が張って、蛾がたかっている。
 現場はすぐに見つかった。鳥居を越えた辺りで脇の林に入るとすぐ、黄色のテープが木々の間を横断していたからだ。
 勿論ホトケはぶら下がってなかったが、思い思いの枝を指差して、もしかしてあれが、なんて言い合った。そうと思えばひび割れや黒ずみですら、なんらかの意味を見出せる。
 だが誰もテープは跨がなかった。ヨシタカに一度タクロウが入って見てこいよ、と言ったが聞こえないフリをしていた。呪いや祟りを恐れていたのもそうだし、警察や大人が飛んでくることも怖かったし、もっと言えば内申や親に怒られることも心配した。
 ひとしきりブルったあと、ケンスケとヨシタカは塾があるから、と心なしか早足で帰った。もう暗くなっていた。

 俺とタクロウとミヤウチは、どこか物足りない気持ちで公園の方を散策することにした。
 笑ったのは、ミヤウチが外から見える公衆トイレの鏡に写った自分に驚いて情けない悲鳴をあげたときだ。とはいえ、正直俺も振り向いたときは心臓が飛び出るかと思った。
 鏡の上についた照明で、自分達の姿だけがぼうっと浮かんで、それ以外が真っ黒だったからだ。もう一人増えていたり、肩の付近に顔が浮かんでいたり、そういうところまで想像してしまった。
 背中にかいた冷や汗が乾く頃、今度は誰も悲鳴をあげることもできずに固まる出来事があった。女性の悲鳴だった。
 車のブレーキ音のような甲高い声が、不規則に遠くから反響してきていた。最初は何かの聞き違いかと思ったが、タクロウが小さく、これ、もしかして、と言うとそうにしか聞こえなくなった。
 実際いよいよ震え上がっていたが、幽霊に比べれば人のすることなんか、と奇妙な強気に転向したこともあって、俺たちは三人ならなんとかなる、と助けに行くことを決意して声の元に向かった。
 これがまた、意気込んだだけに肩を落とすことになった。声の正体は動物園の猿だった。少しだけ滑稽さに笑ったが、いよいよバカらしくなって帰ることにした。

 二人と別れたあと、神社の駐車場で立ちバックしているカップルを見かけた。最初はズボンを足首まで下げた男のケツが見えて、立ちションをしているのかと思った。
 濡れ雑巾で机を叩くような音に、俺はさっきまでの怯えや空回りした義憤で、妙にむかっ腹が立った。気持ちが悪いんだよ、見せびらかしたいのか隠したいのかも分かんねえ、中途半端なことしやがって、と。
 「ひとごろしー!!!」
 気がついたらそう叫んでいて、カップルは二人して慌てて周りを見回していた。白ける様をじっくり眺めたかったが、俺も慌てていた。
 咄嗟に明かりの届かない林の方に逃げ込んで夢中で走って逃げたが、今思えば枝を踏む音に草むらを蹴る音、随分騒々しく怪しかったことだろう。

 次の日学校の休み時間に、タクロウがヨシタカにヘッドロックをしながら、昨日の夜中の顛末を語り聞かせていた。脇で机に足を組んで座っていたケンスケと運動部の女子が笑っていた。
 ヨシタカは困ったような曖昧な笑顔で相槌を打っていた。俺はそれを一瞥して、そんなんだから、と言いかけたが辞めた。俺もその笑顔を見ていたら、おでこに根性焼きをしてやりたくなったからだ。
 ヨシタカはおよそ一ヶ月後、学校に来なくなる。別にいじめは無かったし、原因もそれではなかった。どちらかというと、ヨシタカの方がタクロウに懐いていた。口には出さなかったが、脱落したんだ、という哀れみの情が俺たちの間を漂った。
 屋上に出る扉の前の踊り場で、俺は独り煙草を吸って「ひとごろし」と口の中で反芻した。
 この街の全員が、この学校の全員が、きっとひとごろしなんだと確信した。それは悪意が無く、穏やかで、静謐な、渇いた砂に吸われていく水だ。

 精々が、首を吊る番が回ってくるまでの間、だけの。
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