Call



 深夜の携帯のバイブレイションで目が覚めた。
 その日は部屋に差し込む午後の風が気持ちよく、本を読んでいるうちにいつの間にか寝てしまっていた。物語の延長を夢でなぞっていたであろう心地いい感触が、僅かに頭に残っている。
 呼び出しの名を見ることもなく、鳴り続ける下品なバイブの音に舌打ちをして俺は通話のボタンを押した。
 「……遅いよ、出るのが……」
 ひとしきり喚いたあとのような、がさついた声。携帯越しにこっちにまで湿っぽさが伝わってくるようだ。こういうときの用件は大体分かってる。要するに出て来いってことだ。すぐ行く、とだけ言って電話を切った。着信は十数件、名探偵なら散発的な時間に心理を読み解いて、その間の行動を予測することが出来るかもしれない。
 目蓋をこすりながら温くなったレモネードを飲み干して、床に落ちてたワイシャツを拾って外へ出る。
 自分が女だったらどんなにかいいだろうと、こういうとき思う。要は逆のことをすればいいだけなんだから。自分は家でもどこでもほっつき歩いて、急に不安とか幻聴とかハンマーを持った自己嫌悪が襲ってきたら、適当に唾付けた男に電話して迎えに来てもらう。このぐらいならまぁいいかっていう駄賃だけ与えて、それ以上はあの日だからとか、無理やりはやだとか、幾らでもでっち上げるだけだ。
 じゃあなんで自分はこうしてまんまと呼び出されてるのか、自分でも頭を傾げるばかりだ。
 学生の頃は他人の面倒ごとってやつが面白くて仕方なかったが、当事者になってみると「なんでわざわざこんなことに時間を割いてるんだろう」、「まるでドラマの真似事のように」、「白々しい台詞や行動を重ねて」、なんて不満ばかりが湧いて出てくる。
 それぞれに台本が渡されていて、これが全く困ったことに、自分でも驚くほど自然にその役割をこなせるのだ。そういう役どころが一通り揃う時期っていうのが、人生にはあるらしい。まるで操り人形のように。
 馬鹿馬鹿しいことに、どうもこれがリア充ってやつみたいだ。なんてことはない、大したことないことに一々大騒ぎして、友情とか仲間とか、そういうのを一見大切にしているようでいて、実際はそれをスーパーボールのようにそこらに叩きつけて遊んでいるだけなんだ。
 どうせピリオドのついた人生、あのとき死んでおけばさぞ綺麗なお話で終わっただろうに、ニンゲンと言うものはそう歯切れよくはないのだな。シンデレラも白雪姫もオーロラ姫も皆、王子と結婚したあとは、貴族特有の薄汚い権謀術数に巻き込まれ性根を歪めながら俗な余生を送っているのだ。
 姫でも王子でも英雄でもなんでもない俺たちは、もっともっと低俗で溢れかえった、虚しいルーティンに痛覚を失うだけ。
 近くの公園まで来たところで電話をかける。ちょっとしたアスレチックの遊具が沢山ある、大きな公園だ。遠くの高架下で押しが自分の客と世間話している。
「着いたぞ」
「ん……」
 先ほどよりは少し落ち着いた声色だった。俺は俺で頭痛が酷い。目頭を揉みながら、アスピリンを一錠飲んだ。長袖一枚だと少し肌寒い。煙草に火をつけて暫く考え事をしていると、ようやくそいつは来た。V系みたいなタンクトップにダメージジーンズ、乗馬にでも履きそうなブーツ。いつもどこかしらの具合が悪いようなことを言っているくせに、俺より寒そうな格好だ。派手に血の滲んだ包帯を腕に巻いている。左の目尻に青痰ができている。
 まぁ、大体そんなとこだろうと思った。そいつは俺の隣に座って、同じように煙草を吸いだした。
「切るなら俺の前でやれよって言ったじゃん」
「あ、そっか……はは、そうだね……」
 煙を吐き出しながら頭を小突く。そいつはベースボールキャップを直しながら、力なく笑った。
 こういうやり取りも、本当ならどこか嘘くさいはずだ。今になるとそれがよく分かる。
「結局さ、男の人には叶わないんだなぁって思った」
「分からねえわ」
「何が?」
「どうせ切ったことで喧嘩になったんだろ」
「うん」
「そもそも切らなくてもよくなるか、幾ら切っても何も言わない相手とくっつけばいいじゃねえか」
「そんな人いないよ」
 じゃあ呼ぶなよ、と言いかけたが、飲み込んだ。
 彼氏とドライブ中にエンストしたときにもこいつは俺に電話してきた。俺は免許すら持っていないのに。彼氏とはそのとき初めて喋ったぐらいだが、はぁ、どうも、初めまして、まぁ大変だと思いますけど頑張って、最終的にJAFじゃないですか、そんなシュールな会話にうんざりしたもんだ。
 要するに常識が通用しない。
「この街から抜け出したいね、どこか遠くへ行きたい、誰も私のことを知らないような。外国もいいかな」
 そいつはベンチから立ち上がると、平均台の上に飛び乗ってバランスを取り出した。
 多分どこにも行かないだろう。それどころか、彼氏と別れることすらできないだろう。まぁ鈍い俺にもそろそろ分かってきた。
 誰か、それこそ白馬の騎士みたいのに自分のことを連れ去ってほしいんだろう。普段勝ち気なのに時折妙にしおらしくなる、この手のタイプは大体そういう、やけに少女趣味な理想を持ってたりするみたいだ。
 でも言わずにはおれないのだ、そのささやかな夢や願望を。
「ビールの美味い国に行きたいよな。ドイツとか」
「ああ最高! ビールとウィンナーとベーコン、バターたっぷりのオムレスでしょ!」
「一面湖とか荒野とか、そういうのもいいな。見渡す限りが地平線なのに、建物が一つもないとこでキャンプしてさぁ」
「そんなの楽園じゃん! 私小さい頃、家族旅行で北京に行ったことあるよ」
「へぇ、どうだった。料理は美味しかった?」
「全然だよ、辛いだけだったな、あとごみごみして、変な匂いばっかり」
「ははは! それはプランが良くねえんだよ! 北京料理の店じゃなかっただろ、多分」
「んーそうかなぁ、よく覚えてないわ」
 公園の遊具を一通り巡り終わるまで、他愛の無い話を続けた。そいつはそれでもう満足したようだった。無論俺も楽しくないわけじゃない。
 実を言えば役割を演じることの恐ろしさは、それが何とも背徳的な興奮や快感に溢れていることだ。だから一度それに腰掛けてしまうと、容易に動くことが出来なくなる。それは奇妙なことに周りにまで否応無く作用するのだ。
 この場合で言えば俺とそいつは、それを難なくこなしていただろう。役割の名は人によって代わるだろうが、それには興味が無かった。
「じゃあ俺、そろそろ帰るよ。読みかけの本が面白かったからな、続きが気になる」
「うん、ありがとね。因みになんて本?」
「教えてもどうせお前は読まないよ。じゃあな」
 空が青くなってきていた。
 あれは出任せだ。俺は家に着いたらまた眠るだろう。正直のところ、本なんてもの、読むだけ読んでも結末なんかどうでもいい。結末に納得した本なんて、片手にすら至らない。
 終わる手前で投げた本など幾らでもある。そこまで膨らんだ話を、あとは自分で考えるのが俺は好きだった。
 それだけは役割に左右されない、本当に大切なものだと思っていた。
 いつも望みどおりの夢が見れたらいい。あの夢の続きが見たい、またあの人に会いたい。
 役割に支配されない俺とそいつで会えたら楽なのに。
 でもそれは叶わない。だから電話が鳴ったら、また糸が繋がる。鳴らなくなったら、糸は切れる。
 切れたらもう二度と繋がることはない。
 永遠に。
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