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スラムスタンス

 俺は日本という人権を行使できる国に生まれ、経済的にそこそこの家庭に育った。
 両親は誠実な人間で、他者との衝突を避けない母と、諦観か臆病か慈愛か、いずれにせよ優しい父の寵愛を一人っ子として受けて育った。
 順調に優秀な教育を受ける過程でドロップアウトして、ハードラックな人生の人間たちとも沢山知り合った。中流が故、半分他国の地を受けてるが故、自営業と会社員の子が故、少々頭があったかいが故、あらゆる人種と知り合う機会を得た。
 この国にもスラムはある。悲劇がある。狂った病質がある。
 メディアの中には、そこへ触れた表現もある。それは常にセンセーショナルでドラマティックで、ファッショナブルに扱われる。真に迫った表現もあるのに、何故かそれはリアリティに差し込まれない。
 ユニークなことに、実際俺がそいつらの話を聞いても、生ぬるいジョークのように聞こえることが多々ある。
 山奥にある足らずの養護学校の奴もいた。
 両親が離婚して、実父が飲兵衛のクズだったから外国人の継母に引き取られた奴もいた。
 何一つ不自由なく、ただ生きてるのがバカらしくて手首を切って学校で噂になってる奴もいた。
 中性的でかわいらしい顔をしていたから、過ぎたアプローチ食らって引きこもった男もいた。
 施設で育って、抜きゲーの3流同人サークルで始めて仲間と呼べる奴を見つけたと言ってた奴もいた。
 薬漬けでパチプロ紛いのことしながら、今では商材営業して人並みの奴もいた。
 クラブに行くのがイケてると勘違いしてるうちに、”ハズレ”の男の子供を身ごもって見なくなった奴もいた。
 色んな奴がいる。それぞれが自分が主人公だと思って生きてる。脇役だとわきまえて生きてる奴もいる。
 今ならハッキリと分かるが、アイツラは全員マネキンだと思う。
 あらゆる環境で、目の光を失わない奴がいた。
 あらゆる環境で、通学バスの後ろの席で騒ぐレベルの奴がいた。
 あるべきところからステップアップしていく奴と、生まれた場所でそれが使命かのように寝転がるクソがいる、世の中にはこの2種類しかないんだと、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も再認識させられる。
 「人は変わらない」と、焼きゴテを押し付けられるような気分が。
 それは精神的な奴隷と、カーストと、何が違うと言うのだろう?

 宗教だとか、経済力だとか、国籍だとか、肌の色だとか、実際的で分かりやすいレッテルに左右される人間は大勢居る。
 その環境の渦中にいる奴でさえ、「俺はそういう人間だ」と思考停止している奴が殆どだ。
 俺はそいつらの目が覚めることは一生無いと思う。
 俺はそいつらの苦痛や苦悩如きが、裕福な家庭で育った人間の希死念慮を愚弄する権利は無いと思う。
 同様に、裕福な家庭の人間がハードラックな人間を侮ることを認めることも無い。
 2018年、世界中にスラムがある。ありとあらゆる国の、ありとあらゆるブラウン管の中に、液晶の中に貧困がある。
 精神と経済と物質の貧困が、未来永劫の病質が存在する。
 お前の家にある携帯かPCかテレビが省電力モードのとき、その真っ暗なボードに写るお前の顔のことだ。

 前へ進め。
 環境なんか関係ない。
 上を向け。
 学歴なんか関係ない。
 人の目を見ろ。
 財布の中身なんか関係ない。
 外へ出ろ。
 笑え。叫べ。踊れ。こぶしを上げろ。
 そこに怒りは無い、憎しみは無い、差別も無い、理想も無い、未来はも無い、夢も、理想も、性別も、理解も、共感も。

 ただ俺はクソ俺だと、お前はクソお前だと。
 そうでもなかったら、今すぐ死んだほうがマシだ。

 行き場のない路上。
 見上げる高層ビルの明かり。
 忍び込んだサーカス。
 ずっこけたオーリー、花火をした廃工場。
 橋の街灯が反射する川。
 落ちてた財布で買った酒。
 デマカセのビラでガメた募金。
 パクったチャリで追いかけた虹。
 そうでもしなきゃ寒すぎた夜。
 そうでもしなきゃ憧れを知ることも無かった。
 そうでもしなきゃ未来が有ることを知らなかった。
 そうでもしなきゃ撫でられなかった頭。

 夜はあまりに長すぎた。
 太陽はあまりに無慈悲だった。
 アスファルトも、制服も、交差点も、クラクションも、ナイフも、何も、かも。
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