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読書

06 18, 2013 | たわ言

 世には沢山の小説が溢れ返り、いくら活字離れが進もうと、誰しも心の一冊くらいはあるんじゃなかろうか。覚えている、覚えていないに関わらず。
 完全に無い人間は、ちょっと、いやあまりにも無教養というか、非文化的というか、日常が忙しすぎる慌てん坊には違いないので、時には腰を落ち着けて書を開くのも一興だと言っておきたい。
 俺のその一冊に触れる前に、小説とはいかなるものか、読書とはいかなるものか、と軽く解体してみたいと思う。

 小説に限らず、書物の歴史は長い。文字が発明され、石や壁に掘り込む形から、竹を用いた巻物みたいな奴、再生紙みたいなの、紙、羊皮紙、活版印刷、印字の開発、タイプライター、大分はしょって現代のデジタルと、書物と印刷技術は人類の歴史と2人3脚だ。
 人間とそうでないものを分けるときに、この文字と言うものが非常に大きなウェイトを占める。意思の伝達を形に落とし込むからだ。それはつまり、時や場所を越えて大多数の人間にコミュニケーションが出来るってことだ。これによって人類は大いに発展した。具体的には共通認識、所謂常識が発生し、危険を察知し、自然災害などの対策を組み立て、食物の取得方法をバージョンアップし続けられた。
 で、小説というものがいつからあるのかは知らんが、大分長い。神話や聖書もノンフィクション、フィクションは置いといて、人類初のベストセラー小説だ。その影響力は現代にも色んな意味で及んでいる。

 人類を人類たらしめるのは思索に他ならないと思うが、思索には材料や前提が沢山必要だ。その材料に、他人の意見や着想、創作話などは非常に参考になる。
 例えば作り話で考えたときに、他の書物同様作られるキッカケは教訓や思想がほとんどだ。失敗談や成功談から、こうした行為を積んだ方がよい、こうすると物事が悪く運ぶ、など。童話などは特に明確な例。
 ここが作り話の難しいところで……なぜ作り話という体裁をとるかと言うと、感情移入を目的としているからだ。そうすると教訓や思想が物語にカモフラージュされ、読者の中にスッと入る。
 例えば、急に「マイケル君はりんごを食べた。死んだ」とか言われても訳分からん。

 アメリカ生まれのマイケル君は、只今17歳。趣味はラグビー。好きな女の子のタイプは幼女。親は何々屋をやっていて~~

 などと始まり、最終的に……

 ロリコンハンター結社アグネスの手によって作り出されたバイオ毒リンゴ。それを結社のエージェント、ナンシーちゃん七歳にプレゼントされたマイケル君は、喜んでかじって死んだ。享年57歳。

 と、なる。
 「マイケル君、ロリコンは程ほどにね」、あと「こんな話40年も続けるなよ」という教訓が、マイケル君をずっと見ていた読者には理解できるわけだ。

 ちょっと例えが荒唐無稽すぎるが、これはわざとだ。
 感情移入を目的とすると、「演出」が必要になるのだ。エンターテイメント性と言い換えてもいい。これは全ての創作物に関与する。
 面白くなければ人は読まない。見ない。聞かない。理解しない。
 そうやって話の演出過剰が進み、結局何が伝えたかったのか、読者も筆者も訳が分からなくなる。こういうケースは多々ある。
 今、名作と呼ばれている作品の中にも、発想力豊かな読者が、作者の意図以上に偉大なメッセージを受け取ったあまり名作と評されたものも、あったりするかもしれない。
 「いや、ただ単に僕は、小さい女の子が好きでこの話を書いたんだけどな」みたいなね。
 ……あ、俺は年上好きなんでそこら辺は誤解しないように。偉大なメッセージは過去にも未来にも全く発信しない。

 何の話だっけ。
 そう、これを筆者と読者の関係性で考えよう。
 筆者には、まぁ当然ながら書く動機があるわけだ。それは十中八九「俺はこう思う」。それを分かってほしい、あるいはただ単に飲み込んでほしい、と思って話を生み出す。
 これは、要するに洗脳だな。
 クリエイターは全員信者を増やしたい教祖なのだ。
 それは、「俺はこう思う」の裏側に、「お前もこう思え」という部分が絶対に存在するから。意図する、しないはともかく、そういう結果は付きまとう。
 全ての創作物は実は洗脳のための道具とも言える。そこを踏まえないと、本当の読書とは言えない。
 つまり、
 1.わざわざ洗脳されて
 2.そこから何か自分の思索に役立つものを拾って
 3.自我に戻ってくる
 のが、読書なのだ。必要なのは強固な意志。我。スーパーエゴ。
 多くの人間は残念ながら、1の段階で終わってしまう。これでは本当にただの信者だ。筆者はそれでいいかもしれないが、あまりにも勿体無い。
 小難しい話や思想はどうでもいい、ただフィクションが楽しみたいだけだ、という読者は別の意味で賢いので、それはそれで結構。ただ、もうちょっと踏み込んだほうが、俺は楽しいと思うけどね。

 などと、相変わらずダラダラ書いてしまって、ここまで読んでくれたマメな人は大いに洗脳されてるんじゃないかと懸念するが、とりあえず目を覚ませ。
 へっへ、ちょっとメタってみた。
 ここから先は恒例の「俺はこう思うが、お前は勝手にしろ」エリア。

 ↓↓↓↓↓↓

 俺は村上春樹が嫌いだ。正確に言うと村上春樹を有難がる奴が嫌いだ。若い奴が真っ先に読書というと村上春樹の名前を出す文化が嫌いだ。
 村上春樹の小説をつまらないとは言わない。いやつまんないんだけど、中には面白い作品、面白い一部分はあるだろう。しかし話で見たときに、俺には面白さが全く分からない。
 エンターテイメント性の部分は理解できるが、結局それで何が言いたいのか理解できないからだ。それは俺の読解力が乏しいこともそうだし、知識やバックボーンも不足しているが、それを踏まえて、本当に、全然、まるで思想が理解できない。
 一つ言えるのは、
 セックスが好きなのか……?
 都合の良い女が急に現れて、やたら描写だけは詳しいセックスシーンが毎回あるのは、なんなんだ? どういう意味なんだ? このシーンがストーリーでどういう影響を及ぼしてるんだ?
 無い気がするんだけど? 無いのがオシャンティなのか? 愛の無いセックス肯定派?
 軽妙でリズム感のいい会話は、俺には、

 俺A「物事をこれこれこういう側面で見ると、こういう事実が浮かび上がる。俺はそれが素敵だと思う」
 俺B「それって○○ってこと?」
 俺A「いや違う。△△は時として、□□な××が※※になるんだ」
 俺B「そう……」(俺Aさん素敵///)


 みたいな、オナニストの独り言に見えるが、これをお洒落と呼ぶのか?
 やっべー。
 「嫌なら見るな」理論で、嫌だからもう見ないし、別に勝手に書いてりゃいいんだけど、これを楽しめる奴が結構いるってことが、一番理解に苦しむ。さてはお前ら、
 セックスが好きなのか……?
 まぁ別に好きなら好きでいいですけどね。だったらオープンカフェでどや顔で読むのはどうかと思うなぁ。一般文学の皮を被ったフランス書院ってことでしょ? そいつらにとっては。
 いやぁ、不思議だなぁ……。
 これでノーベル賞候補ってんだから、世の中不思議だよ……。
 自分がマイノリティであることを痛感するね。
 いや、これ以上こんな記事を書いている場合ではない。この文章力で村上春樹の悪口なんて言える立場でもない。
 俺の心の一冊はまたの機会に。
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