14
2013

奇声

CATEGORY日常
 先日、久々に生まれ故郷を尋ねた。四月にも長岡には足を運んだが、如何せん落ち着く暇もなかった。そのため、おおよそ8ヶ月ぶりの帰郷となった。
 年明けに行った際には家族が二匹増えていて、まだ幼子だったチワワが、もう随分と小さくなっていた。
 大きくなった、と言いたいところだが、育ったところでチワワは小さい。かわいいもんだ。
 見た目のかわいさでは、猫は宇宙一かわいいが、犬は地球一かわいい。猫がテレビのアイドルなら、犬は下町のアイドルってところだ。性格も無垢な感じ。猫に振り回されるのに疲れたら犬、というのもありかもしれない。それじゃあ、まぁ、初めから犬を愛してやれよ、となるか。
 犬派猫派で分けたがる人は多いが、無粋だと思う。二つのかわいさは全く別個のもので、どちらかを選べというのは、お前は一生食うならラーメンとカレー、どっちがいい?と聞くようなものだ。
 俺はラーメンかな。

 正直言うと、地元はあまり好きではない。それどころか、かなり嫌いだ。
 退屈で窮屈で、何もかもが際限なく緩く、ただ滅びていくだけのような、そういうところだ。
 空は広いし、見渡す限りに緑が広がるのに、なぜ息苦しいと感じるのだろう。
 それは恐らく、俺の過ごしてきた時間が、俺にそう思わせるのだろう。
 どこの土地が嫌いとか、こいつが嫌いとか、そういったものの理由は全て自分の中にあるし、自分の中にしかないのだから。
 歓楽街などもあるが、見るたびに、みすぼらしくなっていくようで、胸が詰まる。
 大きな力や悪意が、地方や強くない人たちから明日や希望を吸い取っているんだ。
 が、別にそれを止めようと思うほど義侠心もなく、義理もなく、学や術も持たない、ただ俺もそこに育った、強くない人の一人に過ぎないのだろう。
 ゆっくりと、蛇が鎌首をもたげて獲物を眺めるように、管理社会へと向かっている。
 その先には破滅しかない。
 それでも新しいものがやってくれば、それにすがりつくしかない。一年後、十年後のために、今日の飯を我慢する奴はいないのだから。
 悲しい街だ。

 小国という、今では長岡の一部になった山近い村に墓参りへ。
 どこそこの土地がどうとか、どこに住んでるなんとかさんが頭がおかしくなったとか。
 いつもあまり楽しい話を聞かない。
 別に楽しい話が聞きたいわけじゃないが……もうちょっとなんか、ないかな、と、思う俺が悪いのだろうか。
 同じ話は、するのも聞くのも苦痛だ。
 会話をしているんだろうか。
 それとも、俺は扇風機か壁か何かで、相手はラジオなんだろうか。
 長生きばかりがいいことではないな。
 決してボケてると言ってるわけではなく。廃れた場所に住んでる人は、みなそういう話し方をする。
 そのことを話すのは、あなたでなくてもいいような。
 そのことを聞くのは、俺でなくてもいいような。
 そんなことばかり頭をよぎる。

 たかが二日だが、帰ってみればあっという間だった。居座ると長いが、短いと早すぎるのかもしれない。
 街が好きじゃないのと、親に甘えたくないという割とまともな理由、あとは個人的にしがらみが多く、思い出すには辛すぎることが沢山あって、あまり戻らない。
 生まれ育った場所ではあるが、もう、帰る場所ではないんだな、という実感だけが残る。
 無論新潟が別に帰る場所というわけでもない。この街はダサすぎるからな。ダサいダサくないで言ったら、小千谷といい勝負だ。それぐらい酷い。
 長岡は結構完成度の高い街だ。そこは自慢だ。なぜか。
 何も無い街だけど。
 どこに帰るんだろう。
 人、と言いたいが、それほどロマンチックな人間でも、人間が好きでもない。
 人なんだけどね。
 いや、鳩だから公園か。クルッポー。
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